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看板・プレートに見る昔の姫路 電柱番号札1

景観的にはあまりいいものではありませんが、電柱と電線の多い風景は、日本のまちにはすっかりおなじみのものになっています。

これら電柱の1本1本に、管理番号を表示した電柱番号札が貼ってあるのをご存知でしょうか。電力やNTTの番号札には、電柱付近の町名や主な施設名が記載されていますが、それらの中には既になくなったものもあります。番号札に遺された旧町名を探してみました。


姫路市相生町

電柱番号札 相生町(関電)、相生東(NTT)

電柱番号札 相生町

姫路城の南西側、船場川沿いにあった旧相生町は、現在の博労町(ばくろうまち)の一部になっています。

電柱番号札の町名は、実在する町名を利用した路線名ですので、該当する町を越えて近隣の町に出張することは普通にあります。「相生町(あいおいちょう)」プレートも、博労町の南側の福沢町や忍町でも見られます。

撮影:2010年11月 兵庫県姫路市福沢町


「旧町名 相生町」の碑

船場川にかかる緑橋の西詰にある「旧町名 相生町」の碑。以下、説明文を転記します。

 相生町の由来
 山陽道の西の出入り口で備前に通じるので備前町といった 文政三年(一八二〇年)酒井忠道が官名を備前守に改めてから縁起を祝って相生町とした
 姫路復興土地区画整理事業の完了に伴う町名変更により昭和五十九年九月 博労町に合併した

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市博労町

姫路市新身町、西魚町

電柱番号札 新見(NTT)、西魚町(関電)

電柱番号札 新見、西魚町

新身町(あらみまち)
プレートでは「新見」になっていますが、実際にあった町名は「新身町」。新身とは新しい刀のことで、刀鍛冶がいた、あるいは新刀を売る店があったのでこの町名がつけられたとのこと。
昭和36年(1961)、現在の塩町と十二所前町に分割合併されました。のちに、姫路信用金庫本店北側の東西の道が「新身町通り」と名づけられています。

西魚町(にしうおまち)
昭和59年(1984)の区画整理で、旧西魚町の多くは、東隣の恵美酒町と共に現在の「魚町」になりましたが、一部は西塩町から町名変更された塩町と西二階町に編入されているようです。魚町・塩町は姫路の歓楽街です。

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市十二所前町

姫路市直養町

電柱番号札 直養(NTT)

電柱番号札 直養

慶長6年(1601)の町割で設立した町。明治時代は「直養」でしたが、大正元年(1912)、直養町(ちょくようちょう)に変更。名前の由来は、勅供養の略ではないかとの説があるようですがはっきりしません。
昭和37年(1962)、一部が南町に合併。さらに昭和59年駅前町と南町に合併され、この珍しい町名は消滅しました。

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市東駅前町

姫路市光源寺前町

電柱番号札 朝日(NTT)、光源寺(関電)

電柱番号札 光源寺

現在の大手前通と十二所前線の交わるあたりの白銀町に、江戸時代より、光源寺という寺院がありました。その前一帯の町を「光源寺前」と名づけ、さらに昭和9年(1934)「光源寺前町(こうげんじまえちょう)」に変更しました。

光源寺は空襲で焼失し、戦後、十二所前町86番地に移転。光源寺前町は昭和59年、近隣の駅前町(含東駅前町)、亀井町、白銀町に分割合併されました。

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市神屋町六丁目

姫路市大工町、西紺屋町、伽屋町、中魚町 

電柱番号札 大工(NTT)、西紺屋町(関電)

電柱番号札 伽屋町(関電)、中魚(NTT)

大工町(だいくまち)
大工町の名残、姫路大工町郵便局があります。「紺屋町大工自治会」掲示板もあり。

西紺屋町(にしこんやまち)
元禄のころより東と西の紺屋町がありました。

撮影:2016年1月 兵庫県姫路市紺屋町

伽屋町(とぎやまち)
町名にはお伽噺の「伽」が使われていますが、研ぎ屋がいたので「とぎや」町。こちらも江戸時代にはあった町名でした。魚町、大工町の隣にあって便利そう。

関電の「伽屋町」プレートは、北条口二丁目~五丁目一帯で広く見られます。NTTも北条口の一部で「伽屋」名を採用。また伽屋町マンションもあり、地元の方にとって伽屋町は、今でもおなじみの町名なのでしょう。

中魚町(なかうおまち)
これらの町は、昭和56年(1981年)の区画整理で古二階町、北条口、紺屋町、亀井町に分割合併されているようです。近隣の和泉町や茶町同様消滅となりました。

撮影:2010年12月 兵庫県姫路市北条口二丁目

電柱番号札 ダイクマチ(関電)

電柱番号札 中魚町(関電)

こちらは関西電力のプレート。「町」がついているものを割と見ます。

撮影:2023年7月 兵庫県姫路市綿町


「旧町名 中魚町」のプレート

北条口二丁目にある幡念寺入口の「旧町名 中魚町」「中魚町史」プレート。

撮影:2010年12月 兵庫県姫路市北条口二丁目

姫路市茶町

電柱番号札 茶町(NTT)

電柱番号札 茶町

江戸時代茶屋があって遊女がいたので名づけられた町名。昭和56年の区画整理で古二階町と北条口四丁目に、一部元塩町にもなっているようです。

撮影:2010年12月 兵庫県姫路市北条口四丁目


「茶町跡」の碑

森富カフェ付近にある「茶町跡」の碑。「辛酉七月」というのは昭和56年(1981)7月のことでしょう。

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市古二階町

姫路市東二階町、東魚町 

電柱番号札 二階町(関電)、東二階町(NTT)

電柱番号札 東二階町(NTT)

二階町は東、中、西に分かれていましたが、戦後大手前通りができ中二階町の多くが道路になり、さらに昭和56年(1981年)の区画整理で、東二階町と中二階町が周辺の町の一部を取り込み、現在の二階町となっています。

撮影:2023年4月 兵庫県姫路市元塩町

電柱番号札 東魚町(関電)、東二階町(NTT)

電柱番号札 東魚町(関電)

魚町も東、中、西に分かれていました。二階町などとは違い隣接せず、城南地域に分散して存在しました。総社の東方にあった東魚町は、昭和56年(1981年)の区画整理で、坂田町となっています。

撮影:2023年7月 兵庫県姫路市綿町

姫路市壱丁町

電柱番号札 一丁町(関電)

町名標示 壱丁町

このあたりの字を「壱丁田」と言ったので名づけられたのであろうとのこと。昭和56年隣の大黒町(だいこくまち)と合併、大黒壱丁町(だいこくいっちょうまち)という、銀行のような強力な町名が誕生しました。

右は「姫路市 壱丁町」の町名標示プレート。このほか、近くの交差点名は「壱丁町」、バス停は「一丁町」と、名残はまだありますね。旧大黒町の方も、町名標示や交差点標示にその名が遺されています。

同じプレートを琺瑯看板の町名表示にも入れています。

撮影:2010年12月 兵庫県姫路市大黒壱丁町

姫路市上久長町

電柱番号札 上久長(NTT)

電柱番号札 上久長

国立病院機構姫路医療センター(旧国立病院)の東、久長門を出たところにあった町。上久長町(かみきゅうちょうまち)と下久長町がありました。『姫路市町名字考』には、「むかし久長という人がこの町を開いたので町名となった」とあります。現在の五軒邸二丁目、一丁目付近。

撮影:2023年7月 兵庫県姫路市五軒邸一丁目


「旧町名記念碑 城東地区」の碑

「旧町名記念碑 城東地区」の碑

京口駅西ロータリーにある「旧町名記念碑 城東地区」の碑。1枚目の真ん中より少し左側にあります。右端の高架はJR播但線京口駅。 2枚目拡大画像(255KB)

旧町名の中の「天神町」は、今でもあるにはあるのですが、区画整理により播但線の高架下のわずかな面積が残っているのみで、町としての実態がほとんどありません。

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市京口町

参考文献

  • 『新・姫路の町名』2007年12月10日 播磨地名研究会
  • 『姫路市町名字考』昭和31年11月23日 橋本政次著 姫路市発行
  • 『姫路城下町 うちまちものがたり』2006年3月 白鷺中学校区地域夢プラン実行委員会
  • 『姫路市史 第六巻 本編 近現代3』平成28年3月30日 姫路市史編集専門委員会編 姫路市発行

(2011年1月8日作成、2023年9月20日更新)