路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
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ビール

キリンビール(トレードマーク付)  キリンビール

KIRIN BEER キリンビール 撮影:2005年4月

KIRIN BEER キリンビール 麒麟麦酒株式會社 撮影:2001年10月

東京都中野区中野4-10-2 中野セントラルパークサウス、麒麟麦酒(株)
東京都中央区新川二丁目10-1、キリンホールディングス(株)

明治3年(1871年)、アメリカ人コープランドが横浜山手天沼に設立した日本初のビール醸造所スプリング・バレー・ブルワリーが前身。明治40年(1907年)2月、事業を譲り受け麒麟麦酒(株)として創業しています。

平成19年(2007年)7月1日、持株会社キリンホールディングス(株)設立(旧麒麟麦酒(株)が社名変更)。酒類事業は同日に設立された新・麒麟麦酒(株)の担当になりました。平成25年(2013年)、販売会社であるキリン(株)の子会社に。

キリンビールトレードマーク

トレードマークは2003年9月撮影
キリンサイト内の商品ブランドの歴史 キリンビールには歴代ラベルが紹介されています。かつてキリンサイト内にラベルライブラリーというページがありました。それによると昭和15年(1940年)のラベルに似ています。

アサヒビール  アサヒビール

ASAHI BEER アサヒビール
撮影:2001年12月/2001年10月

東京都墨田区吾妻橋一丁目23番1号、アサヒビール(株)
明治22年(1889年)、前身である大阪麦酒会社設立。明治25年(1892年)、「アサヒビール」発売。明治39年(1906年)、大日本麦酒(株)設立。

昭和24年(1949年)9月1日、大日本麦酒(株)の第2会社として5支店4工場を継承し、朝日麦酒(株)設立。平成元年(1989年)(旧)アサヒビール(株)に。平成23年(2011年)7月、持株会社に移行。酒類事業は現社が引き継ぎました。

アサヒマーク アサヒマーク 右の方が波が派手です。

「ビール」と言えば「キリンラガー」の時代が長く続きましたが、昭和61年(1986年)、樋口廣太郎氏がアサヒビールの社長に就任。昭和62年(1987年)「スーパードライ」が大ヒット。9.6%だったシェアがその後46%に大躍進。ビールのトップシェアを獲得しました。

キリンは平成12年(2000年)まではビール+発泡酒ではトップでしたが、平成13年(2001年)2月21日、アサヒが「アサヒ本生」で発泡酒市場に参入。ビール・発泡酒シェアでも、平成13年(2001年)トータルで、アサヒが48年ぶりに首位奪還となりました。その後またキリンが巻き返し、現在もトップ争いを繰り広げています。

サッポロビール  サッポロビール

サッポロビール
撮影:2004年3月/2006年11月  

東京都渋谷区恵比寿四丁目20番1号、サッポロビール(株)、サッポロホールディングス(株)
明治9年(1876年)9月、北海道開拓史麦酒醸造所設立。明治19年(1886年)11月、大倉組に払い下げられ、明治21年(1888年)1月、札幌麦酒(株)に。

明治39年(1906年)3月、日本麦酒、札幌麦酒、大阪麦酒3社合同で大日本麦酒(株)設立。ユニオンビール等合併の後、昭和24年(1949年)9月1日、過度経済力集中排除法により日本麦酒(株)設立。昭和39年(1964年)1月よりサッポロビール(株)。平成15年(2003年)7月1日持株会社サッポロホールディングス(株)設立。酒造事業は新・サッポロビール(株)が担当。

マーク部分アップ(87KB)。
左は「日本麦酒株式会社」とあります。北海道以外で「サッポロビール」のブランドが復活したのが昭和32年(1957年)2月。この看板は昭和32~38年のものではないでしょうか。右はサッポロビール(株)時代のもの。

ワイン

赤玉ポートワイン

美味 滋養 葡萄酒 赤玉ポートワイン 販賣店
撮影:2005年1月
拡大画像(58KB)

東京都港区台場二丁目3-3、サントリー(株)
大阪府大阪市北区堂島浜二丁目1番40号、サントリーホールディングス(株)

明治32年(1899年)鳥井商店として創業、大正10年(1921年)12月、(株)壽屋(寿屋)設立。昭和38年(1963年)に現社名に変更。平成21年(2009年)4月1日、純粋持ち株会社制に移行。親会社はサントリーホールディングス(株)に。ワイン事業はサントリーワインインターナショナル(株)が担当のようです。

赤玉ポートワインは明治40年(1907年)発売。サントリーの名は、赤玉を太陽(sun)とし、それに創業者鳥井信治郎氏の名字をつけて合成したものと言われています。

蜂ブドー酒

美味滋養 蜂ブドー酒  
撮影:2006年9月

東京都墨田区東駒形一丁目17-6、オエノンホールディングス(株)
明治13年(1880年)、みかはや銘酒店として個人創業。明治33年(1900年)、日本酒類製造(株)設立。大正9年(1920年)、大日本酒造(株)を吸収合併し、神谷酒造(株)に社名変更。大正13年(1924年)、神谷酒造(株)と東洋酒精醸造(株)・北海道酒類(株)・北海道酒精(株)・神谷酒蔵工業(資)の(本社工場)が合併、合同酒精(株)誕生。

合同酒精は平成15年(2003年)7月、持株会社のオエノンホールディングス(株)に移行。清酒メーカーの福徳長酒類(株)、富久娘酒造(株)などもオエノングループの会社です。

白玉ホワイトワイン

純良白葡萄酒 白玉ホワイトワイン 美味滋養  
撮影:2009年8月

兵庫県明石市大久保町西島919番地、江井ケ嶋酒造(株)

社史によると、白玉ホワイトワインは大正10年(1921年)7月発売。戦時中に一時発売を休止しますが、昭和26年(1951年)より再度販売。昭和43年ごろにもありました。その後白玉ブランドのポートワイン・焼酎・みりんなどを発売します。白玉焼酎と梅酒はまだあるようです。

ウイスキーなど

トリスウ井スキー

サントリー姉妹品 トリスウ井スキー
撮影:2005年1月(赤玉ポートワインの看板の裏です)

東京都港区台場二丁目3-3、サントリー(株)
大阪府大阪市北区堂島浜二丁目1番40号、サントリーホールディングス(株)

平成21年(2009年)4月1日、純粋持ち株会社制に移行。ウイスキー、ビールなどの酒類製造はサントリー酒類(株)が担当していました。

令和4年(2022年)7月、事業会社5社を統合、酒類事業全般を担当する現在のサントリー(株)が発足。

トリスウィスキーの発売年は、サントリーサイトでは昭和21年(1946年)となっています。検索すると「1950年」(昭和25年)と書いてあるページも見つかりました。

ロバートブラウン

ロバートブラウン
撮影:2005年1月
拡大画像(94KB)

静岡県御殿場市柴怒田970番地、キリンディスティラリー(株)
昭和47年(1972年)キリン・シーグラムとして設立。昭和49年(1974年)ロバートブラウンを発売しています。平成14年(2002年)7月、キリンディスティラリー(株)に社名変更。
この看板は琺瑯製ではありませんが、保存状態がよかったので掲載しました。

ブラックニッカ

ニッカウヰスキー

ブラックニッカ
撮影:2008年1月

ニッカウヰスキー  
撮影:2014年3月

東京都港区南青山五丁目4番31号、ニッカウヰスキー(株)

昭和9年(1934年)竹鶴政孝氏により、大日本果汁(株)として北海道余市町で創業。昭和27年(1952年)ニッカウヰスキー(株)に変更。昭和29年(1954年)よりアサヒビール傘下に。平成13年(2001年)にアサヒビールの子会社になります。ブラックニッカは昭和40年(1965年)に発売された現存ブランド。

参考看板

サントリーレッド

「ソフトウイスキーのベストセラー サントリーレッド」と書いてあるんですけど、錆びて全体がレッドになってしまいました。どこかで状態のいいものを見つけて差し替えたい。
奥にある清酒「成金娘」の合成樹脂看板がいいですね。中に電球が入っていて夜になると小判が輝いていたのです。岩本酒造さん、惜しい酒蔵をなくしました。
撮影:2002年6月

サントリーレッド

もひとつサントリーレッド。これは合成樹脂看板なのでこんな色になっています。「仲間を呼んでたっぷり飲もう! サントリーレッド 普通瓶500円 Wサイズ900円」と書いてあります。サントリーウイスキーレッドは昭和39年(1964年)発売です。
撮影:2006年4月

参考文献

  • 『企業名変遷要覧』2006年1月25日 機械振興協会経済研究所 結城智里 神戸大学経済経営研究所附属政策研究リエゾンセンター 日外アソシエーツ編集部 編
  • 『江井ケ嶋酒造株式会社100年史』1989年1月15日 江井ケ嶋酒造株式会社100年史編纂委員会

2009年12月31日:ページ分割。サッポロビール1枚、蜂ブドー酒、白玉ホワイトワイン、ブラックニッカ追加。2018年4月10日:ニッカウヰスキー追加。2022年8月24日:画像差し替えあり。

(2022年9月26日更新)