電話契約プレート
琺瑯製
表札タイプの電話番号、振替口座番号プレート。こちらのお宅の個別注文ですね。郵便振替口座の琺瑯プレートはかなりめずらしいのではないでしょうか。いずれも逓信省関係です。戦前からの事業家でいらっしゃるのでしょう。
ここは城東区ですが、旭区だったのは昭和17年度(1942年度)末までのことです。
撮影:2018年12月 大阪府大阪市
金属製など
鉄蓋のページに載せたものの再掲になりますが、電話関係のマークについてまとめました。
年月日 | 名称 | マーク |
---|---|---|
明治18年12月 | 逓信省 | |
明治20年2月8日 | 〃 | |
昭和24年6月 | 電気通信省 | 〃 |
昭和24年9月 | 〃 | |
昭和27年8月 | 日本電信電話公社 | 〃 |
昭和60年4月1日 | 日本電信電話(株) |
※マーク画像は当方が製作しているもので、正式なものではありません。
逓信マークの電話契約プレート。
1枚目は大阪市平野区にて。〒マークがついているので昭和24年(1949年)9月より前ですが、すでに市内局番が2桁になっています。
2枚目は兵庫県内。〒マークは縦よりも横の方が長いのですが、これらは結構正確です。
〒マークは今では郵便専用ですが、戦後の一時期、逓信省が郵便と通信を管轄していました。戦前にはさらに電力、交通も管轄していたときも。
上の2枚目の後継でしょう。横幅10cmくらい。
別の県のもの。1枚目は複数県で確認。
2枚目は電電マークはありませんが、1枚目と「電話」の書体が同じです。撮影:2019年5月。
このデザインは京都市内に何枚もありました。
撮影:2014年6月 京都府京都市
伊賀上野専用プレート。わざわざマークをくりぬいた凝ったもの。
撮影:2018年10月 三重県伊賀市
ここまで、いずれも玄関インフラプレートの中では大きめでした。
このプレートの左端「電話」の赤文字のない、電電マークのみのプレートがまだまだあちこちにあります。他のプレートの市内局番を見ると、1960年代の高度成長期のものでしょう。昭和50年代には電話番号を玄関に掲げることはなかったように思います。
撮影:2009年5月 岡山県岡山市
楕円の方が古いようです。楕円は上の方のプレートのように「TEL」が入っていません。
木製
木製電話番号プレート各種。
電話貳番/電話壹貳番/電話壹六貳番/電話壹五参?番/電話六二六
2~4枚目は相当古そうです。1枚目は板は割と新しく、同じ内容で作り直したと思われます。昔のプレートの貼り跡が残っています。電電公社のマーク付きプレートが出回る前のものでしょう。1は壱ではなく壹なんですね。
若い番号は地域の名士や医師宅だったりで、立派な門構えのお宅が多かったです。電話2番なんて村役場の次の番号では?
ガラス看板
電話壱番
琺瑯製ではありませんが古そう。玄関の上にありました。
市内局番がなかった、または少なかった時代に、商家が「一番」を取るのはめずらしかったのでは。
撮影:2023年3月
全電通
日本電信電話公社の労働組合、全国電気通信労働組合の会員証でしょう。
前身の全国電気通信従業員組合(全電通)が、昭和25年(1950年)9月結成。昭和27年(1952年)7月全国電気通信労働組合に。現在はNTTの労働組合となっています。
撮影:2018年10月 三重県