路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
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埋設標2


電話

逓信省

逓信省埋設標「逓」

逓信省埋設標「地」

逓信省埋設標「〒、二」

逓信省埋設標 殿堂  
撮影:2020年12月 兵庫県姫路市 旧西国街道

水路脇の石標。左「逓」、正面「地」、右と裏は「〒 二」の文字。頭には矢印があります。
相武電鉄の東京神戸間電話ケーブルを辿る-神奈川県/相武電鉄資料館に類似の埋設標が紹介されています。

地は「地下線」のようです。2枚目右側はよく見ると「二.」ですね。距離が記されているのでしょう。

昭和5年(1930年)5月20日、電話局として長年親しまれた現在の姫路モノリス、当時の姫路郵便局電話事務室が竣工(『逓信事業史 第七巻』より)。そこからこの埋設標までの直線距離は約2.3km。ケーブルの総延長はもう少し長いはずですが、2キロ台ではあるのでしょう。

検索すると、逓信省の埋設標は、旧形式の装荷ケーブルのものが箱根付近、のちの無装荷ケーブルのものが、東京都西部から神奈川県あたりの山道に残っているようです。

長距離電話線は大正末期より部分開通していて、東京―神戸間が昭和3年(1928年)11月1日全線開通。神戸―姫路間は昭和4年(1929年)12月11日、姫路―岡山間は昭和5年(1930年)3月21日開通(『逓信事業史 第四巻』より)。最終的には満州まで延び総延長は約3000km。

埋設標のような石

埋設標のような石

埋設標のような石  
撮影:2023年2月、3月 兵庫県姫路市

1枚目は電話局と上の水路脇の石標の間にあるもの。電話局より約1.5km、上の逓信石標までは約0.9km。

地面から2cmくらいしか出ていないので、何の石か全くわかりません。龍野町五丁目旧西国街道沿いにて。

旧街道はこのあたりで南西方向に曲がっていますので、ケーブルの「曲点」でもおかしくないです。

ただ昭和の初めにはすでに、旧街道の南に、現在の国道2号にあたる道路ができています。わざわざ旧道は通さない気もしますが、軍用地を通せば電話局―龍野町五丁目は一直線。商業地に埋めるよりも楽そう。どうでしょうか。

2枚目は上の石標から約200m地点のもの。〒のようなマークがあるようなないような。石の材質はどれも似ているように見えました。

御影石埋設標「逓」

御影石埋設標「地、〒(?)」

御影石埋設標「一(?)」

逓信省埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月、3月 兵庫県姫路市

最初の水路脇の石標から約2km地点のもの。左「逓」、正面「地」、右「〒(?)」、裏は「一(?)」。

車崎―夢前橋間は逓信時代は旧街道(旧国道)、電電時代は現在の国道2号に埋設されたようで、国道に石縁付きの電電蓋が何枚もありました。

逓信省

逓信省

逓信省 殿堂
撮影:2014年9月、2023年3月 兵庫県姫路市 2枚目少し拡大(60KB)

電話局より東に逓信埋設標は見当たりませんでした。これは電信電話1にも入れている国道2号沿いの逓信蓋。電話局から東約1.1~2.0km間に8枚(2枚×4セット?)あります。

昭和4年(1929年)には、このあたりの国道はまだ開通していなかったようで、当初は旧街道に通し、昭和8年(1933年)ごろに国道が整備されたとき、埋め直したかもしれません。

大正末期から昭和初期、長距離電話の通話品質を保つため、電話局内の装置とは別に、ケーブル路線の1.83kmごとに「装荷線輪」というコイルを設置していました。

地下路線にはマンホールを造って取り付けることが多かったようです。立地でマンホール築造不可の場合は、別の構造物を造っていました。そのあたりのことは『逓信事業史 第四巻』P487~488にあります。

これはかなりの大蓋なので、そのような装置を入れる目的で造られたのかもしれません。
姫路の住宅地に、逓信大蓋がなぜ何枚もあるのかとずっと思っていましたが、東京から大陸に渡る長距離ケーブルのメンテナンス蓋の可能性がありそう。

電電公社同軸ケーブル

兵庫県姫路市西部~太子町東部 旧西国街道

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月 兵庫県姫路市

夢前川を渡ると埋設標は電電公社のものになります。
これは青山地区の東の方にあった石標で、3回分の工事をまとめためずらしいもの。

1枚目 左側:400P PEF 同軸 (?) 拡大画像(114KB)
2枚目 正面:電電マーク電話
3枚目 右側:37.11 35.(?) 39.(?) 拡大画像(120KB)
4枚目 裏面:1.8M 2.6M 3.8M

PEFは発泡ポリエチレンという絶縁体で、TVなどの同軸ケーブルに今でも使われているものです。壁のアンテナ端子の白っぽい部分でしょう。
400Pはケーブルの規格。「同軸」とともに新技術のPRでしょうか。

PEF使用のケーブルが初めて敷設されたのが昭和30年(1955年)とのこと

電話用として同軸ケーブル方式が商用化されたのは、昭和31年(1956年)11月東京―横浜間で、前年に広島で運用試験が行われました。参考:『電気通信施設 第11巻第12号』(同軸特集、工事写真あり)。

神戸―岡山間は昭和34年(1959年)12月26日着工。参考:『電気通信施設 第12巻第4号』(神戸広島間同軸ケーブル施設工事特集あり)P192より。

電電公社ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年3月 兵庫県姫路市

正面:電話、右側: L6 A1

電電公社同軸ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年3月 兵庫県姫路市

2枚目3枚目は同じ石標。
正面:同軸 N7 A2
左側:電電マーク電話
右側:2.9M
裏面:昭44.3

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月 兵庫県姫路市

正面:同軸 N7 A2。「電話」と書かれている他の石標より古そうで、万成石のようなピンク系の石の多い花崗岩を使っています。

電電公社ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年3月 兵庫県姫路市

正面:N7 A2S / L7 A2、左側面はいずれも電電マーク電話、右は距離のような数字。

青山峠(旧山田峠)

電電公社看板

電電公社看板アップ

電電公社看板ポール

1枚目は青山峠。旧山田峠で、姫路市と太子町の境界のひとつです。これでも明治期に掘り下げられたようで、旧道は崖の上近くを通っていました。
この下に旧道への登り口がありましたがいきなりプチ倒木あり。

2枚目からは旧電電公社の注意看板で、NTTが引き継いでいるようです。峠の向こうにもありました。
「重要地下ケーブル」とあります。峠道に不似合いなマンホールと看板ですが、国道のなかった時代はこの道が幹線だったんですね。
撮影:2023年2月 兵庫県太子町 

電電公社埋設標

電電公社埋設標

電電公社埋設標

電電公社埋設標遠景

電電公社埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月 兵庫県太子町

正面は凍結防止剤で見えづらいですが「電」と彫り込まれています。頭は曲矢印、左は電電マーク、右は「曲」が見えます。曲点なのでしょう。裏は3.1M

4枚目は遠景。峠を少し下った地点です。埋設標は凍結防止剤の落下防止に役立っているようです。

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月 兵庫県太子町

4枚とも同じ場所のもの。
1枚目 正面:同軸 N8 A1S / 電話 拡大画像(109KB)
2枚目 裏面:昭35.6(?) / 1.2M 拡大画像(98KB)
3枚目 左側:いずれも電電マーク 拡大画像(73KB)
4枚目 右側:0.8M / L8 A1S 拡大画像(93KB)
Lは路線名でしょうか。Nはケーブルの種類とか?

兵庫県太子町西部~たつの市東部 西国街道

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月 兵庫県太子町 / 兵庫県たつの市

全部別の石標。1枚目は裏面で「昭35.」までは読めます。月は2月?
正面は「同軸 N14 A2」、左側は電電マーク、右は距離のような数字でした。
2枚目は正面:同軸、右:1.0M、見えない左側は電電マーク。
3枚目はたつの市内で「同軸 N14 A2」とあります。

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月 兵庫県たつの市

同じ石標。1枚目、黒くなっていて電電マークが見えません。2枚目「同軸 N15 B」。
3枚目は2.8Mのような文字が見えます。

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標

電電公社同軸ケーブル埋設標 殿堂  
撮影:2023年2月 兵庫県たつの市

同じ石標。上の標石の割と近くにあったもの。
1枚目は電電マーク。2枚目はN15までしか見えないです。3枚目は0.8Mでしょう。

同軸ケーブル埋設標はいずれも、逓信省時代のものと同様、西国街道沿いにありました。
他に、深く埋められていて読めないのが2本あり(下)。初期同軸石標のようなピンク石です。たつの市内。

電電公社埋設標のような石 電電公社埋設標のような石

これまで見た14本のまとめ。

初期2代目以降
年代昭和30年代後半昭和40年代
正面など「同軸」多い「電話」登場
上部矢印の矢尻が大きい矢尻が地味
材質ピンク系の石が多い花崗岩
表面やや荒い
落ち着いた色の花崗岩
表面なめらか

※兵庫県西部の共通仕様かどうかはわかりません。最初に記載したPEF同軸の石標は敷設ののちに建らたれたものか、この表には当てはまらないようです。

旧道といえども側溝が設置されたりなど、左右両側に拡幅されている場合が多く、戦後の埋設標であっても、60年くらい経った現在では、ほとんど残されていないのが現状のようです。

ストリートビューで明石~上郡間をざっくり見てみましたが、他には逓信標はなさそうで、電電らしき石標は4本ありました。

境界杭と違うところ。
 頭の記載は普通の矢印。
 電電の境界杭は、十字以外は、方位記号のような横線が入っている矢印(⤉)が多い。
 5面全部別内容を記載。路線情報あり。

電電公社

電電公社埋設標

電電公社埋設標 殿堂
撮影:2010年11月 奈良県橿原市

御影石製のケーブル埋設標。昭和35年(1960年)3月敷設。
路面ギリギリに埋められているもので、杭かプレートかよくわかりません。
奈良県の共通仕様かどうかも不明です。

参考文献


2023年3月22日:ページ新設、逓信省、電電公社同軸ケーブル埋設標追加。

(2023年3月22日更新)