路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
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電力1 電力会社1

旧宇治川電気

宇治川電気

宇治川電気 殿堂
撮影:2007年4月 大阪府大阪市

宇治川電気(株)は明治39年(1906年)10月設立。大正2年(1913年)7月、宇治発電所が竣工、8月より大阪、京都方面に電力の供給を開始します。かつては現在の山陽電鉄の路線も所有していました。本社は当時の大阪市北区梅ヶ枝町164。

下左:マーク部分アップ、下右:広告。(『第二版 大阪市商工名鑑 大正十二年版』広告P20より)
宇治川電気マーク 宇治川電気広告

宇治川電気
宇治川電気マーク

宇治川電気 殿堂
撮影:2015年5月 大阪府大阪市

昭和に入り電力の国家管理が行われ、まず昭和14年(1939年)4月1日、日本配送電(株)設立。次いで昭和17年(1942年)4月1日には、施工された配電統制令により、全国を9ブロックに分けた9配電会社が設立することになります。

宇治川電気は昭和17年(1942年)3月31日解散し、日本配送電と翌日設立した関西配電(株)に統合されました。

北区西天満に昔の宇治電ビルがありましたが、同じ名称で新ビルになりました。近くに新宇治電ビルもあります。これらの敷地内に宇治電の蓋はないようです。

旧大同電力

大同電力

大同電力 殿堂
撮影:2018年5月 大阪府大阪市

大正8年(1919年)11月8日、大阪送電(株)として設立。本社は当時の東京市麹町区丸ノ内でしたが、事業内容は、木曽川など中部地方のダムで発電した電力を、関西方面に送るというものでした。
大正10年(1921年)2月25日、2社と合併、大同電力(株)となります。

昭和10年代に入り、電力国家管理政策により、昭和14年(1939年)4月、設立された日本配送電(株)に事業譲渡、解散しました。
大同マークは、旧社が関係会社であった大同特殊鋼(株)が引き継いでいます。

80年以上経っているようには見えませんね。あと、このパターンは福西でしょうか。メーカー独自のパターンは戦後からだと思っていましたが、戦前にもあったのなら驚きです。

旧日本電力

日本電力
日本電力マーク

日本電力 殿堂
撮影:2018年12月 大阪府大阪市

大正8年(1919年)12月15日設立。宇治川電気の子会社で、本社は大阪市北区にありました。こちらも昭和17年(1942年)、日本配送電(株)と9配電会社に施設などを譲渡、電力以外の事業をやっていたようですが、昭和22年(1947年)解散とのことです。

(下)日本電力広告。東洋経済株式会社年鑑 第十回・昭和7年版より。マークは蓋と微妙に違いますが。
日本電力広告 日本電力広告マーク部分

旧京都電燈

京都電燈

京都電燈 殿堂
撮影:2005年9月 京都府京都市

縦400くらい。このマークは京福電鉄も使用していますが、場所からして京都電燈のものと思われます。明治21年(1888年)4月6日設立。翌年7月営業開始。明治26年(1893年)2月株式会社に。

戦時中の電力統制で、京都電燈(株)は、日本配送電・関西配電(株)・北陸配電(株)に電力設備を出資、3社より得た利益で昭和17年(1942年)3月2日京福電気鉄道(株)を設立、3月31日に解散しました(『関西電力五十年史』より)。

京都電燈

京都電燈
撮影:2005年9月 京都府京都市

こちらは旧本社、現在の関西電力送配電(株)京都支社西側にあったつるつる蓋。よくぞここまで、片栗粉をつけて煮たお吸い物の具のようになるまで使ったものです。さすがにストリートビューに写ってはいないようですね。

旧本社は昭和12年(1937年)竣工。壁のタイルが素敵な質実剛健の建物でした。蓋は消えましたが建物はまだまだ健在。

旧京都市電気局

京都市電気局 京都市電気局

京都市電気局 殿堂
撮影:2枚とも2005年9月 京都府京都市

これらと同じと思われる蓋を新幹線の南側で見て以来、謎箱に入れっぱなしでしたが、駅からマンホールさんの京都市の電気事業史1 路上の星の正体を探る ~ 京都市営電気事業によると、かつての京都市電気局の電力蓋のようです。800×600くらい。

明治11年(1878年)3月25日、東京虎ノ門の工部大学校で我が国初のアーク灯が点灯。この日がのちに電気記念日となります。

東京に遅れること5年。明治16年(1883年)4月、京都祇園の歌舞練場でアーク灯が点灯。関西でも初めて電灯がともりました。2年後、京都府は琵琶湖疎水工事を着工。管理は京都市となり、明治23年(1890年)3月竣工。

同年京都市は蹴上発電所を建設。翌24年(1891年)11月送電を開始します。これは日本初の一般供給用の水力発電事業で、さらに日本初の公営の電気供給事業でした。

明治末より、売電メインだった京都市が、配電にも力を入れるようになります。すると京都市と京都電燈の間で競争が激化。大正3年(1914年)、営業協定を締結することになりました。京都府が裁定した区域は以下のとおりです。

京都市電気局供給区域図(一部区域、98KB)『関西地方電気事業百年史』P90より
区域裁定後。グレー部分が京都市供給区域。市電路線記載あり。
京都市電気局供給区域図(広域版、147KB)『関西地方電気事業百年史』P36より
昭和7年末。いずれも供給区域は配電のもので、発電所変電所間の高圧地中送電経路上には、京都電燈区域であっても、京都市の蓋があったものと思われます。

京都市電気局

駅南の蓋は、変電所から市電への送電用であったのでしょうか。そういう用途は市電マーク、すなわち現在の交通局章が付くとばかり思っていました。が、送電関係は電気マークにする等の、何らかのルールがあったのかもしれません。もののついでに、市の施設に配電していたというのもあったのかも。

昭和17年(1942年)、戦時中の配電統制令により、京都市電気局は、日本配送電と関西配電に電力関連設備を譲渡。50年以上にわたる電気供給事業は終了となりました。

関西電力

関西電力

関西電力

関西電力
撮影:2005年10月 兵庫県姫路市

1枚目はそれほど古くはありませんが、多少盤面が反っていますので最新のものではなさそうです。二の字パターンは関西の場合、関西電力以外の電気系の蓋にも使われています。

関西電力
撮影:2006年5月 大阪府大阪市

2枚目は、施工時にはなかった歩道の段差を埋めるための蓋の蓋。

大阪府大阪市北区中之島三丁目6番16号、関西電力(株)、関西電力送配電(株)

関西電力は昭和26年(1951年)5月1日、電気事業再編成の一環として、関西配電と日本配送電の一部が統合し設立されました。中央のマークは、この両社の和と、ボルトとアンペアの頭文字を表しているそうです。電力屋でありながら、「かんでん」というしびれそうな略称で関西の方々に親しまれています。もっとも、関電と感電ではアクセントが違うので問題はなさそうですが。

関西電力

関西電力
関西電力

関西電力 撮影:2015年4月 大阪府大阪市

1枚目は『マンホールのふた<日本篇>』によると、「直径は約1130、昭和30年からの仕様」とのこと。パターンは古い電話蓋に見られるタコ足を塗りつぶしたようです。タコの進化形でしょうか。

京都市 関西電力 撮影:2014年6月 京都府京都市

2枚目は京都市内の蓋。共同溝でしょうか。関西電力の文字入りはめずらしい。

関西電力 関西電力

関西電力 殿堂
撮影:2018年5月 大阪府大阪市

1枚目は縦横の二の字が1段ずつ交互になっているパターン。めずらしいので殿堂入り。おそらく600×800の2枚もの。

関西電力
撮影:2014年6月 京都府京都市

2枚目はノンスリップ仕様の大蓋。横1200くらいでしょうか。虹技パターン?

関西電力 関西電力

関西電力 NO3
撮影:2019年1月 兵庫県加古川市

関西電力 NO-6
撮影:2015年12月 兵庫県姫路市

この数字は何でしょうか。

関西電力送配電

関西電力送配電  
撮影:2021年5月 兵庫県姫路市

令和2年(2020年)4月1日、法的分離により、送配電事業は関西電力送配電(株)が継承。関西電力は、発電などの事業と子会社の株式保有という事業持株会社に移行しました。各送配電会社は新マークを採用しています。

関電は他社のように稲妻マークは採用せず、途中でマーク変更もせず、70年近くボルトアンペアマークを使い続けて来ましたが、ついに蓋のマークは変更されることになりました。もっとも新マークもボルトとアンペアを基本にしているらしいですが。

2021年5月の連休中に何か工事をしていると思ったら、蓋が交換されていました。新品の割にボロいですね。車道だと程なくして磨かれてきますが、ここは歩道なのですぐにはきれいにはならないでしょうか。いつか差し替えたい。

関西電力送配電

関西電力送配電の看板。以前は関西電力の看板がありました。
背後は関西電力(株)姫路支店。
撮影:2021年6月 兵庫県姫路市

東京電力

東京電力角蓋
東京電力旧マーク

東京電力
撮影:2013年12月 東京都台東区

東京都千代田区内幸町一丁目1番3号、東京電力ホールディングス(株)、東京電力パワーグリッド(株)

昭和26年(1951年)5月1日設立。
昭和62年(1987年)10月1日CI導入。TEPCOマークが社章になります。

平成28年(2016年)4月1日、電力自由化に対応するため持株会社体制に移行。マンホールの蓋が関係あるのは東京電力パワーグリッド(株)。こちらは従来のTEPCOマークではなく別マークなので、下のTEPCOの蓋も終了ですね。すでに新蓋も出てきているようです。

TEPCO丸蓋

TEPCO
撮影:2013年12月 東京都台東区

昭和62年(1987年)10月1日から平成28年(2016年)3月31日までの蓋。

マーク部分アップ
東京電力TEPCOマーク

東京電燈広告

東京電燈広告。東洋経済株式会社年鑑 第14回・昭和11年版より。

戦前の東京近辺の電力は東京電燈(株)が供給していました。本社は当時の東京市芝区田村町1-1。明治16年(1883年)2月設立。明治20年(1887年)11月送電開始。
こちらも戦前の電力国家管理政策により、日本配送電(株)と配電会社に事業譲渡、解散しました。マーク付きの蓋はまだあるようです。

東京電燈マーク マーク部分アップ

ネットで蓋画像を拝見している限りではよくわからなかったのですが、中央の丸十字の外は、鉄塔を*形に配置してあるんですね。丸十字も含めて「東」の字にしてあるのだろうと思います。
いや、このもけもけした、毛虫がバンザイしたような模様は鉄塔のはずですが……。

参考ページ:琺瑯看板の電力プレート

参考文献

  • 『マンホールのふた<日本篇>』林丈二著 1984年3月30日 (株)サイエンティスト社
  • 『関西地方電気事業百年史』昭和62年10月25日 関西地方電気事業百年史編纂委員会
  • 『関西電力五十年史』平成14年3月 関西電力(株)
  • 『第二版 大阪市商工名鑑 大正十二年版』大正11年12月1日 大阪市役所商工課編纂
  • 東洋経済株式会社年鑑 第十回・昭和7年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)昭和7年10月10日 東洋経済新報社
  • 東洋経済株式会社年鑑 第14回・昭和11年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)昭和11年10月15日 東洋経済新報社

2005年9月3日:鉄蓋の殿堂新設。2005年10月8日:電気・ガスなどのページ追加。2007年6月10日:電気独立。2019年9月7日:電気を電力に変更、分割。2020年4月6日:記述修正。2021年3月5日:旧京都市電気局追加。2021年5月10日:関西電力送配電追加。

(2021年6月29日更新)