鬼瓦は飛鳥時代からありますが、初期のものは平板で顔も鬼面というより獣面。角(つの)の立派な立体的な鬼面の登場は中世以降です。『文化財の見方』によると、平安時代に1本角、室町時代に2本角の鬼瓦が現れたとか。
こちらは興福寺東金堂の鬼瓦。興福寺の創建は奈良時代、再建は室町時代応永22年(1415年)。稚児棟にある前の一の鬼が羯磨(かつま)という武器を、隅棟にある後ろの二の鬼は、火焔宝珠3個を額に付けています。周囲に丸が並んでいるタイプは「数珠掛」と言うそうです。
2006年10月 奈良県奈良市
魔除け、招福の願いを込めた瓦を集めました
鬼瓦は飛鳥時代からありますが、初期のものは平板で顔も鬼面というより獣面。角(つの)の立派な立体的な鬼面の登場は中世以降です。『文化財の見方』によると、平安時代に1本角、室町時代に2本角の鬼瓦が現れたとか。
こちらは興福寺東金堂の鬼瓦。興福寺の創建は奈良時代、再建は室町時代応永22年(1415年)。稚児棟にある前の一の鬼が羯磨(かつま)という武器を、隅棟にある後ろの二の鬼は、火焔宝珠3個を額に付けています。周囲に丸が並んでいるタイプは「数珠掛」と言うそうです。
2006年10月 奈良県奈良市
東寺食堂降棟の鬼瓦。横から見ると「昭和九年如月 大仏瓦師 横山源太郎(?)」などの銘が入っているのが見えます。オールバックの前髪が迫力あり。
2007年11月 京都府京都市
東寺北大門の鬼瓦。見たところ割と新しそうです。額には「王」の文字。左右にぴらんと飛び出している「ひれ」と呼ばれる部分があるのは、室町以降のようです。
2007年11月 京都府京都市
相国寺庫裏の鬼瓦。後ろは越屋根のもの。ひれの下の雲形(渦巻き模様)は「足」「足元」と呼ばれています。丸瓦には山号である「萬年山」が見えます。角がスパイラル気味なのがめずらしい。
2007年6月 京都府京都市
姫路市網干区にある大覚寺の塀にある鬼瓦。額には縁起物の宝珠をいただき、これ一つで鬼は外福は内が体現できています。
頭上の鳥衾には三葉葵が見えます。大覚寺のご紹介によると、「江戸時代には、寺領三十石の朱印地として『三葉葵』の紋を許され」とあり、当時よりかなりの勢力であったことがうかがわれます。
2002年8月 兵庫県姫路市
姫路市飾磨区にある正龍寺山門の鬼瓦。門の左右の降り鬼ですが、口が違いますね。
瓦メーカータツミのサイト鬼面・古代鬼面によると、鬼瓦には雌雄があるのだとか。「雄鬼:口を閉じたもの・角のあるもの・角の大きいもの・面相が厳しいもの」とのこと。口を開けている方が雌なんですね。阿吽の狛犬も、阿形が雌獅子という説があり、それと同じ発想でしょうか。
ここの場合は1枚目が雄、2枚目が雌となります。背後の棟の鬼瓦も同様のようです。
設置される鬼は方角によります。北から東回りで南までが陽の方角なので、陰の雌鬼が設置され、南から西回りで北までが陰の方角で、陽の雄鬼が設置されるとのこと。また真北は陰、真南は陽になります。建物によっては雌雄一対になっていない場合もあります。
2021年4月 兵庫県姫路市
姫路市街地北部の増位山にある随願寺本堂の鬼瓦。額の三日月が目を引きます。既に亡くなられた瓦匠、小林平一氏の銘が彫ってあります。平成の鬼瓦はあまり怖くないですね。
2013年5月 兵庫県姫路市
姫路市亀山にある亀山本徳寺浄華堂の鬼瓦。奈良時代のような古代鬼面の鬼瓦が掲げられています。割と平べったい顔の、角のない獣面が特徴で、奈良県内の寺院にはたくさんあります。
後世の鬼瓦は目玉の部分がくり抜いてあり、そこが黒目に見えて恐ろしげなオラオラ顔ですが、古代鬼面は単なる白目で、ひょうきんな表情も多く、個人的には気に入っています。
戦後建立の納骨堂で、瓦自体はデザインの割に新しいもので、横に寄進された方らしき名前が彫り込んであります。丸瓦の模様も白鳳ふう蓮華文で、古めかしくていいですね。
2021年4月 兵庫県姫路市
参考文献
2021年5月5日:ページ新設。2021年5月14日:随願寺本堂鬼瓦追加。