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看板・プレートに見る昔の姫路 電柱番号札3

―施設名(移転)編―


姫路赤十字病院

電柱番号札 日赤(関電)

電柱番号札 日赤

電柱番号札 日赤(関電)病院下(NTT)

電柱番号札 日赤(関電)病院下(NTT)

「日赤」の名で市民に親しまれている姫路赤十字病院は、長い間、薬師山の東側の龍野町五丁目にありました。この場所には、明治9年(1876)、飾磨県庁が建てられましたが、ほどなくして飾磨県は兵庫県に編入され消滅。建物には明治33年(1900)、当時県立病院だった日本赤十字病院が入ります。

ここに日赤があったころ何回か来ましたが、赤十字病院にしては手狭のように思われました。駐車場も狭く、近隣の民間駐車場に停めたりもしました。
姫路赤十字病院は、平成13年(2001)11月、姫路市下手野の大阪酸素跡地に移転。さらに近代的な大病院になりました。更地になった龍野町の跡地はさすがに広々とし、また閑散としていて、病院があったころの喧噪が嘘のようです。

日赤移転に伴い、近くの「日赤病院下」交差点とバス停は、それぞれ「船丘町」、「琴岡町」に変更されました。ただ電柱番号札の場合は、市民生活との関係はほとんどなく、関係者以外が見るのは何かの通報のときくらいでしょうから、このまま「日赤」として残留し続けるのではないでしょうか。

3枚目4枚目は薬師山西側にて。

撮影:2011年1月 兵庫県姫路市龍野町五丁目 / 2023年9月 姫路市車崎一丁目

日輪

電柱番号札 日輪(関電)ショウダ(NTT)

電柱番号札 日輪

かつて、姫路駅南の姫路市北条21番地に、当時の日輪ゴム工業(株)、現在の(株)ニチリンの姫路工場がありました。

ニチリンは大正3年(1914)5月、兵庫県神戸市で創業。姫路工場は、福島紡績(株)姫路工場の用地を譲り受け、昭和18年(1943)8月より操業。太平洋戦争の空襲で被災しましたが、戦後も同じ場所に再建されます。昭和45年(1970)3月、新幹線建設用地にかかることになり、姫路市別所町佐土1118に移転しました。

(福島紡績(株)は後の敷島紡績(株)、現在のシキボウ(株)で、現在の姫路市にあった2か所の工場のうち飾磨工場は紡績業を続け、平成5年(1993)、ジャスコ姫路(現在のイオン)リバーシティーショッピングセンターに)

撮影:2010年11月 兵庫県姫路市北条一丁目

龍田紡績、中央卸売市場

電柱番号札 竜田(NTT)中市場(関電)

電柱番号札 竜田

龍田紡績(株)は明治34年(1901)10月、現在の姫路市井ノ口で龍田織物工場を個人創業。明治43年(1910)3月、現在の姫路市延末483番地に移転してきました。昭和12年(1937)3月龍田紡績(株)設立。戦時中は軍需転換しますが、戦後紡績業に復帰。

煉瓦造りの本社工場は平成13年( 2001)1月閉鎖され、生産は熊本工場に集約。跡地には2011年2月26日、イオンタウン姫路(当時はロックシティ姫路)ショッピングセンターがオープン。

本社は平成20年(2008)1月、龍田紡績淑徳学園のあった、東隣の姫路市東延末264番地に移転しました。

電柱番号札 紡績(関電)

電柱番号札 紡績

関西電力の「紡績」プレートもあります。工場のすぐ前を通ってはいませんが、おそらくは龍田紡績に由来するものでしょう。ちなみに「紡績」ルートは、土山二丁目から始まり、ヤマダ電機姫路本店の西側で東に向きを変え、東延末二丁目まで来ています。枝分かれルートもあります。

撮影:2010年11月 兵庫県姫路市南畝町、東延末一丁目


電柱番号札 中市場(関電)

「竜田」と同じ電柱にあった関西電力の「中市場」プレート。旧姫路市中央卸売市場は昭和32年(1957年)3月竣工。65年あまりの営業ののち、令和5年(2023年)3月白浜地区に移転。跡地には市立高校3校が統合し移転してくるようです。

撮影:2010年11月 兵庫県姫路市南畝町

保健所 

電柱番号札 保健所(NTT)

電柱番号札 保健所

兵庫県歴史博物館西側の電柱。姫路城の北の方です。姫路城史跡内は電柱はほぼありません。ここのように周辺部にわずかに残っているくらいです。

かつて姫路市立中央保健所は、NTT1号館の西、イーグレ南側にあり、昭和30年代の終わりごろ、現在の歴史博物館の東側に移転。番号札はこの場所によるものと思われます。

さらに平成7年(1995年)1月、坂田町に移転。モニュメントもある現在の建物は、黒川紀章事務所設計とのことです。

撮影:2023年3月 兵庫県姫路市本町

裁判所 

電柱番号札 裁判所(関電) オカマチ(NTT)

電柱番号札 裁判所

かつて岡町にあった裁判所は、昭和22年(1947年)9月の空撮には写っています。昭和30年(1955年)ごろは、まだこのあたりにあったのでしょう。

昭和36年(1961年)6月の空撮では、姫路城南東側、現在の東御屋敷跡公園に建物があります。元あった岡町40番地付近は、建物の一部が残っているくらいでした。

「姫路市岡町の由来」説明板(188KB)。岡町東交差点付近にあるもので、中ほどに「岡町40-46番地には裁判所がありましたが火事で焼失」とあります。

撮影:2023年3月 兵庫県姫路市岡町

読売 

電柱番号札 裁判所(関電) オカマチ(NTT)

本町のめばえ保育園付近。かつてこのあたりに読売新聞の直売所があったのでしょうか。

撮影:2023年7月 兵庫県姫路市本町

参考文献

  • 『姫路市史 第五巻 下 近現代2』平成14年9月28日 姫路市史編集専門委員会編 姫路市発行
  • 『姫路商工名鑑 昭和38年版』昭和38年4月1日 姫路商工会議所

(2011年1月30日作成、2月28日、2023年9月20日、11月6日更新)