旧寺庄銀行本店
(旧滋賀銀行甲南支店)
旧(株)寺庄銀行の建物。Wikipediaの旧滋賀銀行甲南支店によると、2007年(平成19年)7月まで滋賀銀行甲南支店の店舗でした。ヴォーリズ建築です。
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寺庄銀行は明治30年(1897年)創業。昭和3年(1928年)旧(株)百三十三銀行に合併されます。
2007年4月 滋賀県甲賀市
街歩きでたまたま見かけた洋館をこの章でアップします。近代建築は撮り歩いているわけではありませんので、予備知識はなく撮り方も適当です。
旧(株)寺庄銀行の建物。Wikipediaの旧滋賀銀行甲南支店によると、2007年(平成19年)7月まで滋賀銀行甲南支店の店舗でした。ヴォーリズ建築です。
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寺庄銀行は明治30年(1897年)創業。昭和3年(1928年)旧(株)百三十三銀行に合併されます。
2007年4月 滋賀県甲賀市
百三十三銀行は明治12年(1879年)、彦根市で第百三十三国立銀行として創業。明治32年(1899年)(株)百三十三銀行に改称。昭和8年(1933年)(株)八幡銀行と合併、(株)滋賀銀行に。
2018年4月 滋賀県高島市
旧(株)湖北銀行木之本支店として昭和10年(1935年)築。湖北銀行は昭和4年(1929年)3行合併で誕生。昭和17年(1942年)滋賀銀行に合併されます。
参考リンク:文化遺産オンライン 木之本町きのもと交遊館、滋賀県サイト きのもと交遊館
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2018年4月 滋賀県長浜市
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彦根市サイトによると、旧(株)明治銀行彦根支店として大正7年(1918年)に建設。昭和7年(1932年)まで同行の所有であったようです。昭和33年(1958年)彦根信用金庫河原町支店となり、のちに銀座支店に。
彦根信用金庫は大正3年(1914年)有限責任彦根信用組合として設立。法律がらみで数度改組し、昭和26年(1951年)彦根信用金庫に。平成16年(2006年)7月、近江八幡信用金庫と合併、滋賀中央信用金庫に。
1枚目は破風にあるマーク。2枚目は旧彦根信用金庫の琺瑯プレート。亀甲の中の文字は篆書の「信」でしょう。周囲の亀甲は彦根城が「金亀城」と呼ばれることから採用されたようです。後に選定されたコーポレートマークも、同様の理由で亀甲が使われています。
2010年10月 滋賀県彦根市
羽曳野市商工会館になっていた旧(株)富田林銀行の建物。明治42年(1909年)ごろのもの。現在この建物はありません。 拡大(900×675px、85KB)
旧商工会館の写真に別角度からの画像があります。
富田林銀行は明治29年(1896年)設立。同行は昭和9年(1934年)12月、当時の(株)野村銀行に買収されます。
野村銀行は大正7年(1918年)6月、(株)大阪野村銀行として創業。改称と複数行との合併ののち昭和23年(1948年)10月、(株)大和銀行に。「大和」の意味はWikipediaにありますが、ざっくり言うと、野村家の屋号のヤマト(大和)マークを戦後らしく音読みにしたものということです。社章も大和マークに変更。
戦後は都銀として順調に発展。しかしニューヨーク支店がやらかし、平成7年(1995年)米市場から撤退。平成15年(2003年)3月(株)あさひ銀行を合併、(株)りそな銀行に。
画像は『債券投資の栞』より。
大阪野村銀行から独立した野村證券(株)は、現在もヤマトマークをアレンジした社章を使っており、バブル経済期あたりは「ヘトヘトマーク」と呼ばれたとか。グループのシンボルマークの「NOMURA」ロゴもMが違い山(⨇)のようになっています。こだわりがあるんですね。
2005年2月 大阪府羽曳野市
大正時代築、旧泉陽銀行の建物のようです。 拡大(675×900px、91KB)
(株)泉陽銀行は明治29年(1896年)3月設立。昭和6年(1931年)4月破産。
のちに入居した(株)近畿相互銀行は、戦前5無尽会社が合併、戦後近畿相互銀行に改組、平成元年(1989年)(株)近畿銀行となります。その後合併を経て、平成31年(2019年)(株)関西みらい銀行に。
このときは整骨院が入居していましたが、のちにデイサービスの建物になっています。
しかしこのピンクはどうにかならんか……。
2008年5月 大阪府泉佐野市
大和高田市 本町・市町地区まちづくり協議会によると、もとは(株)産業銀行高田支店の建物だったようです。 拡大(1000×667px、106KB)
2枚目は裏側より。2階の窓のX模様はステンドグラスふうでした。 2枚目拡大(1000×667px、77KB)
(株)産業銀行は明治30年(1897年)、(株)郡山銀行として設立。大正6年(1917年)12月、旧高田町にあった(株)高田銀行を合併。昭和3年以降産業貯蓄銀行の建物となったようですが、詳細不明です。産業銀行はこの建物が建設された昭和2年(1927年)末に、(株)六十八銀行に買収されています。
産業貯蓄銀行は業務停止となり、昭和10年(1935年)12月(株)大和貯蓄銀行が設立。昭和19年(1944年)2月(株)南都銀行に合併され、同行高田支店となります。
現在は建築資材販売会社の(株)森川商店が入居。
2022年5月 奈良県大和高田市
年月 | 旧産業銀行高田支店 | 旧吉野銀行高田支店 |
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S2.5 | 産業銀行高田支店(新築) | |
S3.12 | 産業貯蓄銀行高田支店(改称) | |
S8 | 吉野銀行高田支店(新築) | |
S9.6 | 南都銀行高田本町支店(合併改称) | |
S10.2 | 南都銀行高田西支店(改称) | |
S10.12 | 大和貯蓄銀行高田支店(新設) | |
S19.4 | 南都銀行高田本町支店(合併改称) | 支店廃止 |
旧近畿相互銀行 | ||
S47.11 | 支店移転、当地支店は廃止 | |
S51.10 | サンシ(所有) | |
H3.5 | 吉野芦原砕石(所有) | |
R4 | 森川商店(入居) | モリモトデンキ |
(株)吉野銀行高田支店の建物だったようです。 拡大(1000×667px、97KB)
吉野銀行は明治28年(1895年)7月設立。昭和9年(1934年)6月、4行合併で(株)南都銀行設立。この建物が建設されたのはその前年の昭和8年(1933年)とか。
2022年5月 奈良県大和高田市