路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
お散歩 Photo Album

 
page top

電機1 日立東芝

日立

日立電気洗濯機

日立電気洗濯機
撮影:2003年4月

東京都千代田区丸の内一丁目6番6号 日本生命丸の内ビル、(株)日立製作所
東京都港区西新橋二丁目15番12号 日立愛宕別館、日立グローバルライフソリューションズ(株)
日立製作所は、明治43年(1910年)、久原鉱業所日立鉱山の修理工場として業務を開始しています。大正9年(1920年)2月株式会社設立。

日立電気冷蔵庫

日立電気冷蔵庫
撮影:2002年6月

日立冷蔵庫は昭和7年(1932年)よりあったそうです。

昭和29年(1954年)家電時代到来。電気冷蔵庫・電気洗濯機・テレビは特に人気があり、「三種の神器」と呼ばれました。

日立自動電気釜

日立自動電気釜
撮影:2002年6月

わざわざ「自動」と銘打ってあるところが、かまどでご飯を炊く大変さを物語っているようですね。炊飯器(電気釜)も今やインバータ搭載。少量でもおいしく炊けます。

日立ランプ

日立ランプ  
撮影:2017年3月

照明事業はかつて日立ライティング(株)が担当していましたが、平成22年(2010年)10月より日立アプライアンス(株)の、平成31年(2019年)4月1日より、同社と日立コンシューマ・マーケティング(株)の合併により誕生した、日立グローバルライフソリューションズ(株)の担当となっていました。

令和元年(2019年)12月31日、蛍光ランプ・点灯管・白熱電球(クリプトン球)の生産を終了。照明器具や電球はLED製品のみ生産されています。

日立電気ポンプ
日立電気ポンプ
日立電気ポンプ

日立電気ポンプ 撮影:2002年6月
日立電気ポンプ 撮影:2003年7月
日立電気ポンプ 撮影:2005年3月

井戸用ポンプは現在でも何種類も発売されています。洗濯機・冷蔵庫・炊飯器・ポンプなどの家電は、以前は日立ホーム・アンド・ライフ・ソリューション(株)が担当していましたが、平成22年(2010年)10月より日立アプライアンス(株)に、平成31年(2019年)4月1日より、日立グローバルライフソリューションズ(株)に担当が移りました。

日立は多くの家電製品を生み出したメーカーですが、個人的には列車を作っているところというイメージがあります。昔、トレーラーに乗せられた新幹線の車両が、踏切で電車が通り過ぎるのを待ってるCMがありました。2008年類似の日通CMがありました。

おまけ画像 琺瑯以外

ポンパ君合成樹脂看板

ポンパ君の合成樹脂看板。
撮影:2002年6月

ポンパ君の名前の由来は、ポンと押すとパッとつくからだとか。昭和43年(1968年)登場。まだあちこちに生息しています。くちばしのハートがかわいいですね。

キドカラーは昭和43年(1968年)発売。1970年代にかけてのブランドでした。日立のテレビはWoooも終了です。

ポンパ君合成樹脂看板、脱色編
ピントぴったり キドスカーブ金属看板

竹原市にあったポンパ君の合成樹脂看板。ご自慢のカラーが消えつつあります。2枚目は軒下にあった「ピントぴったり キドスカーブ」の看板。検索してもこの場所の画像ばかり出て笑えます。
撮影:2014年5月

日立チェーンストールのシャッター

日立チェーンストールのシャッター。キドカラーやポンパ君のイラストあり。ポンパくんの黄色は地色を生かした節約タイプ。「日立の家電品」は独特のロゴ。
撮影:2007年10月

東芝

マツダランプ マツダランプ マツダランプ

マツダランプ 撮影:2006年1月

マツダランプ 撮影:2005年10月

東芝のマツダランプ 販売店 撮影:2003年5月
30×45cm 拡大画像(40KB)

東京都港区芝浦一丁目1番1号 浜松町ビルディング、(株)東芝
神奈川県横須賀市船越町一丁目201番1、東芝ライテック(株)
東芝は明治8年(1875年)創業の田中製造所と、明治23年(1890年)創業の白熱舎を源流としています。TVアニメのサザエさんのスポンサーでもおなじみ。

明治43年(1910年)、GE社はフィラメントにタングステンを使用した電球を開発。この技術を導入した東京電気(当時)は、翌年よりタングステン電球(マツダランプ)を製造販売(東芝webより)。現在、照明器具関連の業務は東芝ライテック(株)が担当していますが、昔ながらの白熱電球は、平成22年(2010年)3月17日で生産を終了しました。

マツダランプ、ラジオ

東芝のマツダランプ ラジオ
撮影:2004年4月 拡大画像(37KB)

「マツダ」はゾロアスター教の「アフラ・マズダ」(善神で光明神)によるもののようです。古代インドの闘争を好むとされる「阿修羅」がイスラム教の「アッラー」や「アフラ・マズダ」となったとか。

「マツダランプ」の名は既に明治から使われていたそうです。丸いマツダマークは、『東芝百年史』によると、大正14年(1925年)5月より電球に使用され、昭和6年(1931年)11月より全製品に使用されるようになったとか。昭和37年(1962年)3月より、電球ブランドも「東芝」に統一。

マツダランプ、東芝電動井戸ポンプ

マツダランプ 東芝電動井戸ポンプ
撮影:2002年3月

Toshibaマークの看板ですので昭和37年(1962年)3月以降のものでしょう。これ以降は、「マツダ」の商標は標準電球4種に残されるのみとなりました(『東芝百年史』より)。家庭用の井戸ポンプは日本電産テクノモータHD(株)の担当でしたが、平成24年(2012年)3月で生産終了しました。

東芝電動井戸ポンプ

東芝電動井戸ポンプ
撮影:2003年3月

余談ですが、姫路に来たとき「西芝電機」なる会社があることを知り、冗談みたいな名前と思いましたが、「北芝電機」も存在しました。あとは南ですが、語呂が今ひとつで。

東芝電動井戸ポンプ

東芝電動井戸ポンプ 登録販売店 東芝商事株式会社
撮影:2006年3月

電氣洗濯機
電氣洗濯機

東芝電氣洗濯機 撮影:2003年4月

東芝電氣洗濯機 撮影:2003年5月

洗濯機は昭和5年(1930年)よりあったものらしいですが、普及したのは昭和28年の三洋電機製の噴流式電気洗濯機からでしょう。東芝洗濯機には、「余暇を生む働きもの!」というキャッチコピーもありました(昭和34年)。

Toshibaマークは東芝傘マークというそうです。昭和25年(1950年)5月制定。昭和44年(1969年)2月マイナーチェンジされたほぼ同じものが、平成初めごろまで使用されていたそうです。

洗濯機・炊飯器(電気釜)などの家電事業は東芝ホームアプライアンス(株)が担当していましたが、平成28年(2016年)6月、中国の美的集団に売却されました。製造販売はグループの東芝ライフスタイル(株)。神奈川県川崎市川崎区駅前本町25-1。

東芝電氣釜、東芝テレビ

東芝電氣釜東芝テレビ
撮影:2003年3月

東芝電気釜は昭和30年(1955年)発売。NHKのプロジェクトXで開発物語をやっていました。社内プロジェクトなどではなく、下請けの町工場の三並氏御一家が綿密に温度データを取り、バイメタルを利用し試作を重ねようやく完成。お母さんは無理がたたって早く亡くなられてしまいました。

三度三度ご飯を炊くとすれば、1日約3時間を小さな電気釜が引き受けてくれることになります。私が昼間悠長に出かけられるのも、あの御一家のおかげです。

テレビは現在は、中国のハイセンスグループ企業であるTVS REGZA(株)(令和3年(2021年)3月1日、東芝映像ソリューション(株)が改称)が担当。神奈川県川崎市幸区鹿島田一丁目1-2。

東芝ラジオ

東芝ラジオ
撮影:2002年5月

東京都千代田区外神田一丁目1番8号 東芝万世橋ビル9F、東芝エルイートレーディング(株)

東日本大震災をきっかけにラジオが見直されました。特に手回し充電機能付の多機能ラジオは何か月もの間品薄でした。今はスマートフォンでもラジオがクリアに聴けますが、ポケットラジオは電池の持ちがいいんですよね。

東芝モートル

力の強い 東芝モートル
撮影:2002年1月
一辺90cmくらい。

神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34、東芝産業機器システム(株)
モートルは旧芝浦製作所が製造していました。

東芝モートル

東芝モートル 登録販売店 東京芝浦電気株式会社
撮影:2003年12月
店内にある吊り下げ型。

「東京芝浦電気株式会社」の名は、昭和14年(1939年)、東京電気と芝浦製作所の合併時より、昭和59年(1984年)まで使用されていました。

東芝リンクストア

電化器具の分割払い 東芝リンクストア
撮影:2001年11月
90×180cmくらい。

昭和30年代前半はまだ「マツダリンクストア」でした。現在では「東芝ストアー」。

東芝リンクストア

分割払 東芝リンクストアラジオ テレビ 冷蔵庫 洗濯機
撮影:2002年8月

この看板と同じデザインの広告も出されていました。また、東芝リンクストアの琺瑯製ではない町名標示が、奈良市内に残されています。

おまけ画像 琺瑯以外

東芝エスパー 東芝エスパー

東芝光速エスパーくん。
昭和40年代のヒーローです。

1枚目:シャッター絵もまだ見かけます。これはいらっしゃいませのポーズ?
撮影:2010年11月

2枚目:塗り直してもらい凛々しくなったエスパー人形。
撮影:2011年3月

東芝シャッター絵 ウサギとリス

よく見ればヘンな目つきのシャッター絵。
撮影:2003年2月

東芝シャッター絵 休日の男女

1980年代から90年代初めごろのものでしょうか。休日の若い男女のストレス解消法を象徴的に描いたシャッター絵です。ここで男女というのは、生まれたときの性別ではなく、いわゆる男性脳、女性脳のことです。

男性はミニコンポをヘッドフォンで聴きながら読書。音楽や本が必要というより、外を遮断し、自分にこもるのが重要で、それができれば何でももいいのでしょう。この場合は電気店の看板ということで、ステレオを出していると思われます。

女性はおしゃべりで発散して気分転換。実際に会ってもいいのですが、電気店なので電話での会話としているのでしょう。
撮影:20018年11月

参考文献

  • 『会社年鑑≪上場会社版≫ 2002年版』2001年10月22日 日本経済新聞社
  • 『東芝百年史』昭和52年3月31日 東京芝浦電気(株)

2005年7月2日:日立電気冷蔵庫差替え。2009年11月2日:マツダランプ2枚追加。2010年3月31日:東芝モートル吊り下げ型差替え。2018年4月18日:日立ランプ追加。いろいろ差し替え。2020年11月20日:樹脂看板、シャッター絵追加。

(2022年9月29日更新)