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上下水道 高砂市2

高砂市は昭和29年(1954)7月1日、当時の加古郡高砂町、加古郡荒井村、印南郡曽根町、印南郡伊保村が合併し市制が施行されています。

旧高砂町

高砂町 下水

高砂町 下水 殿堂
撮影:2007年6月

旧高砂町の下水蓋と思われます。

旧高砂町は海岸沿いの低地にあり、雨が降ると満潮時には下水が町中にあふれ、伝染病の発生もあったとか。このため、昭和27年(1952)より5ヶ年計画で、全戸を水洗トイレに改造するという、全国初の完全下水道事業を計画。当時町の人口は約2万人。地方の町にこのような計画が可能だったのは、三菱製紙をはじめとする大企業の工場誘致に成功していたことも大きいのではないでしょうか。

旧高砂町のき章 高砂町ゴールドシール参加店の看板

旧高砂町のき章

(左)『高砂市史 高砂町史誌』P287より。同資料によると大正6年(1917)6月8日に議決されたものとか。「この徽章の上は船の帆を、下は波を表わし全体の形が高砂の「高」を形どり」とありました。

(右)旧町章の名残、ゴールドシール参加店の看板。

高砂町 止水栓

高砂町 止水栓  
撮影:2010年12月

付いているマークは、上の旧高砂町のき章の中に「水」の字を入れたように見えます。水道局章あるいは水道関連のマークだった可能性があります。このマークの付いた止水栓は1枚のみ確認。蓋の文字が読めない、あるいは蓋のなくなった止水栓はいくつもありました。

止水栓

止水栓  
撮影:2010年12月

町章はありませんが古そうです。

高砂町 消火栓

高砂町 消火栓  
撮影:2019年5月

高砂町水道らしきマークの付いた消火栓の蓋。旧高砂町の上水道事業は、大正10年(1921)1月起工、完成は大正12年(1923)12月。翌年1月より給水が開始されました。

高砂町 量水器

高砂町 量水器
撮影:2007年6月

家庭用の小型量水器の蓋。マークは上の消火栓と同じ。まだまだ何枚もあります。

高砂町 量水器

高砂町 量水器 殿堂  
撮影:2010年12月

家庭用の小型の量水器の蓋。マークが町章なのはめずらしいですね。楕円の蓋は古いもののようで各地に見られます。

高砂町 制水弁

高砂町 水道 制水弁
撮影:2007年6月

マーク無し町名入りの制水弁の蓋。右横書きではないので、合併直前のものでしょうか。

播磨上水道 消火栓

消火栓 播磨上水道  
撮影:2010年10月

播磨上水道町村組合の蓋でしょう。播磨上水道町村組合は、昭和25年(1950)11月、当時の高砂町・荒井村・伊保村・曽根町により設立、翌26年(1951)11月認可されました。昭和29年の高砂市設立後は、昭和31年9月事業変更認可が下り、同市水道の第3次拡張計画となったそうです。

旧荒井村

(荒井村?)水道消火栓

(荒井村?) 水道消火栓 殿堂
撮影:2007年6月

幅450くらい。中央のマークは、家紋とは多少趣が違いますが、対い千鳥とみてよいでしょう。このマークに関しては、市の図書館で司書の方にもお願いして調べてみたのですが、村のき章とは確認できませんでした。他県の古い要覧を見てみると、戦前ではき章の決まっていない村もあったようで、旧荒井村でも同様の事情だった可能性もあります。現在の高砂市役所は、荒井町千鳥町一丁目にあり、少なくとも「千鳥」は荒井村のシンボル的な存在だったのではないでしょうか。

(荒井村?)量水器

(荒井村?) 量水器
撮影:2007年6月

小型量水器の蓋。マークは窪んでいますが、こちらも対いの千鳥に見えます。旧荒井村の水道事業は昭和25年(1950)起工、29年(1954)3月完成ですが、三菱製紙の社宅があった関係で、大正13年には旧高砂町より越境給水されています。

水道 制水弁

水道 制水弁
撮影:2007年6月

旧荒井村内にあった制水弁の蓋。どこからかのもらい物のようですが、蓋自体は古いですね。

番外編・配水塔

旧朝日町浄水場配水塔

旧朝日町浄水場配水塔
撮影:2007年10月

大正12年(1923)10月に完成した配水塔。昭和41年(1966)7月、この場所にあった浄水場が移転するまで現役で働いていました。あちこちの山の上にある給水タンクよりはずっと小さいものですが、それでも塔の高さは22m、間近で見上げると迫力があります。国登録文化財とのことで、高砂市高砂町朝日町の高砂市立文化会館にあります。

旧朝日町浄水場配水塔の避雷針

渦巻模様が付けられている配水塔の避雷針。五重塔の水煙のような、装飾兼おまじないのようなものでしょうか。水道関係の設備だから渦巻であるのかは定かではありません。

参考:三栖閘門

三栖閘門

三栖閘門(みすこうもん)
撮影:2008年5月

京都市伏見区、旧伏見港の三栖閘門は昭和4年(1929)完成。町を流れる宇治川の派流である濠川と、水位の違う宇治川本流との間に船を行き来させるため、派流に2つのゲートを設置。ゲート内の水位を上下させ船を通すパナマ運河方式で、酒造業をはじめとする伏見の物流に大きな役割を果たしました。

三栖閘門避雷針

こちらは三栖閘門避雷針。扉室の塔の避雷針にも渦巻が見られます。
撮影:2008年5月

現在伏見では、復元された十石舟と三十石舟が、観光用に運行されています。

参考文献

  • 『高砂市史 高砂町史誌』昭和55年4月1日 高砂町史編纂委員会
  • 『高砂市水道50年史』昭和49年7月1日 高砂市水道事業所

(2010年12月12日更新)