境界標1
敷地の境目にある境界杭や金属標など。数はありませんがここに掲載します。なおこのページに蓋はありません
省庁関係
陸軍省
陸軍省
殿堂
撮影:2020年12月 兵庫県姫路市
特別史跡姫路城趾内、陸軍省の境界杭。手前の杭が倒れていますが……。「陸軍省」の文字を見やすくしているのでしょうか?
明治7年(1874年)11月、陸軍歩兵第十連隊の一部が移転。以来終戦に至る約70年の間、城内に駐屯することとなりました。
昭和49年(1974年)から平成3年(1991年)にかけて、国道2号沿いが整備されました。このとき新たに境界になったのが、2枚目の左下寄りにある杭の位置と思われます。
陸軍省
殿堂
撮影:2021年6月 兵庫県姫路市
撮り直してきました。背後の杭は石垣に立てかけてありました。できれば地面に埋めてほしいですが。文化財保護委員会と書かれているようです。
陸軍
殿堂
撮影:2021年6月 / 2021年1月 兵庫県姫路市
「陸軍」の部分は読めます。杭の手前が駐車場で、入口のポールの代わりになっていたようにも見えます。
そして現在は捨てられているふう。杭の他の面は文字が彫られていないのに、わざわざここにフックを入れてるし。文化財なのに扱いが悪いですね。
陸軍(山形マーク付き)
殿堂
撮影:2022年6月 兵庫県姫路市
山形マーク付きの陸軍杭。昔の地形図には、MのようなWをひっくり返したような山形マークがあります。
国会図書館アーカイブの『陸地測量部發行地圖目録 : 昭和六年九月現在』を見ると「陸軍所轄」とあります。記号の由来は調べていませんが、山越え谷越えのようなイメージでしょうか。ちなみに陸軍でも、司令部に関しては五芒星★を使った記号になっていました。
しかし杭のマークは二ツ山ではなく三ツ山形。
国土地理院の『地図記号の移り変わり』を見ると、明治16年から24年までの「陸軍兵営」の記号は旗の中に三ツ山形になっています。黎明期の陸軍所轄記号は三ツ山だったのでしょうか?
海軍杭は二ツ山2段重ねの記号が彫り込まれていますが、たまに三ツ山2段のがあるようです。それほどきっちりしていなかったとか? そもそもき章ではなく、地図記号を杭に彫るようになったのはなぜなんでしょうか。
海軍関連
要塞地帯標
殿堂
撮影:2014年5月 広島県呉市
呉市幸町の入船山記念館内、旧呉鎮守府司令長官官舎にて。説明板には以下のようにあります。
要塞地帯標
これらの標柱は、軍の重要な地域であることを標示し、立ち入りを禁止していたものです。呉軍港を囲む周辺の山々にあったものです。
Fortified Zone Sign Stones
They were set up on the hills around the former Naval Port.
2枚目の画像は左から3本目のアップ。「FZ 呉要塞第三區地帯標」と刻まれています。
地図記号の二重山形が刻印された海軍の杭は、まだあちこちに残っているようですね。こちらは山形というより波形なのでしょう。
旧呉鎮守府司令長官官舎の玄関にあったステンドグラス。「桜に錨」をモチーフにしたもの。
緑は庭の植物が見えているのもので、ステンドグラスに色がついているのではありません。
大蔵省
大藏省敷地
殿堂
撮影:2005年9月 京都府京都市
背後は旧村井兄弟商会煙草工場跡の建物。明治33年(1900年)築。明治37年(1904年)7月、たばこの生産が専売になり、大蔵省煙草専売局の、明治40年(1907年)10月より、大蔵省専売局の製造所としてたばこの生産を行いました。
戦前、大蔵省の工場だった時代の境界杭ですね。蔵の字が「藏」になっています。建物は平成21年(2009年)に解体されています。
関厚敷地
殿堂
撮影:2005年9月 京都府京都市
こちらは大蔵省の杭ではありませんが、同じ旧村井兄弟商会煙草工場跡にあったもの。上記工場に面する道の1本北側付近にありました。
検索すると、昭和22年(1947年)に社団法人関西厚生協会が設立され、建物の維持管理をやっていたようです。解体前は「関西テーラーK.K」という看板がかかっていました。
平成17年(2005年)9月、すでに煉瓦壁の解体が進んでいました。昔の職人さんが1個1個手作業で積んだ煉瓦も、機械で崩すとあっという間ですね。
大蔵省
撮影:2019年5月 岡山県高梁市
税務署の塀の微妙な場所に設置されている「大蔵省」のコンクリート杭。塀ができるまでは角の地面にあったんでしょう。こちらは戦後モノに見えます。
建設省
建設省 界
撮影:2009年3月 広島県尾道市
楷書体で古めかしく、昭和の昔からここにはまっている雰囲気。これは金属杭でしょうか。
建
撮影:2020年12月 兵庫県姫路市
1枚目よりは新しい境界標。これは縦100くらいありそうですが、もっと小さいものもたくさんあります。大阪市内でも見ました。
建?の境界杭
撮影:2023年2月 兵庫県太子町
「建」と読める杭。国道沿いでも一級河川沿いでもなく、向こうは民地、手前は町道の側溝のようでした。
1建(境界プレート)
撮影:2023年3月 兵庫県姫路市
プラスチックのプレート。姫路市内で確認したのは2か所で、1建から9建まで連続してあったりします。実際の境界点は手前の鋲でしょう。
国土交通省
国 / 大津放水路 地上権
撮影:2016年3月 滋賀県大津市
「国」は国土交通省でしょう。コノエのサイトにある「マスターライン足付タイプ」に似ています。地上権の金属標はあちこちにありそうですが見ないですね。
地上権は民法で「他人の土地において工作物又は竹木を所有するため、その土地を使用する権利」と定められているもの。工作物はこの場合は、放水路という地下トンネルになります。
大津放水路は、大雨の際の大津市街の浸水を緩和するための雨水排水トンネルで、平成7年(1995年)着工。平成17年(2005年)6月、1期区間が完成し通水しています。
国道422号月見橋付近にて。放水路は橋の向かって右から左に流れ、瀬田川に流入しています。橋より右側では開削となっていて、橋の下が地上権区間なのでしょう。ちなみに、大津放水路は一級河川に指定されています。
建 / 国
撮影:2022年12月 兵庫県西宮市
アクロバット境界標。奥の高架が国道です。矢印同士を結ぶラインが境界? それ以外の境界は?
中日新聞社 / 国土交通省 用地界
撮影:2019年4月 愛知県名古屋市
「用地界」や「道界」の文字が入ったプレートは、兵庫県では見ないような?
国有敷
国有敷
撮影:2022年11月 滋賀県大津市
それぞれ暗渠と側溝の境界のようでした。昔の青線(水路)なら管轄は財務省でしょうか。
「国有敷」は他では見たことないです。赤線(道路)青線の多くは、現在は市町村に払い下げられているようです。
旧郵政省
旧郵政省
撮影:2022年4月 兵庫県姫路市
旧郵政省時代のものと思われる石杭。姫路郵便局周辺には杭が何本かありますが、他は頭しか見えていないですね。
戦前、郵便や通信などの事業は逓信省の管轄でした。郵便事業は郵政省、郵政事業庁、日本郵政公社を経て平成19年(2007年)郵便事業(株)、平成24年(2012年)10月より日本郵便(株)の担当に。
旧郵政互助会
撮影:2022年12月 兵庫県西宮市
「互」の文字をデザイン化したと思われるマークの杭。郵便局にありました。マークではなく文字の入ったのもあるようです。
郵
殿堂
撮影:2023年1月 兵庫県姫路市
2枚目は郵しか見えないですが、旧特定局にありました。郵政省か郵政互助会のどちらかでしょう。石が古そうなので殿堂入り。
旧(財)郵政互助会は昭和29年(1954年)10月1日設立。平成17年(2005年)10月、3団体合併で(財)郵政福祉誕生。平成25年(2013年)4月には一般財団法人になっています。
職員の福利厚生事業や保険業を行っている団体です。(財)郵政福祉のあゆみの旧サイト(2006年1月アーカイブ)によると、「1956年(昭和31年) 6月 郵便局舎建設開始」とあります。
戸建ての旧特定局は個人所有のみと思っていましたが、互助会が持っていたのもあったようです。
林野庁関連
山
撮影:2023年1月 兵庫県姫路市
林野庁近畿中国森林管理局兵庫森林管理署姫路森林事務所の敷地にて。林野庁は農林水産省の外局です。
「山」のみの境界標。林野の林でも森林事務所の森でもないですね。
山は高低差が必須で、高山や鉱山など木のない場所もある。一方森や林は木がたくさん生えている場所という、文字どおりのイメージがあります。
森と林は農水省の定義があり、林は人工的に生やした木の密集地とのこと。実際には例外もありますが、農水省は林に「人工的」という定義を与えています。
林野事業は「林」。それは木を管理し暮らしに活かすこと。その木を育てる場所が山であり、山が林野事業を支えているということだろうと勝手に解釈しました。
特別史跡 姫路城跡
特別史跡境界 / 特別史跡 姫路城址
殿堂
撮影:2023年1月 兵庫県姫路市
特別史跡の境界杭。史跡は境界標などを設置することが、文化財保護法によって定められています。
向かって右は正面が「特別史跡 姫路城址」、右側面が「昭和三十四年四月一日建設」。裏には「文化財保護委員会 姫路」と彫り込まれています。左側は「昭和三十一年十一月二十六日指定」のようです。
別の場所の杭(93KB)。ここは他とは記載法が古く、左側は「指定丗一年十一月廿六日」、右側は「建設丗四年四月一日」。
姫路城跡は、昭和3年(1928年)9月20日史蹟に指定され、当時の文部省の管轄になりました。昭和31年(1956年)11月26日、文化財保護法により特別史跡に指定されています。
史 / 特別史跡境界
撮影:2021年1月 兵庫県姫路市
上の左の「特別史跡境界」と「史」の石標。いずれも他にもあり、史跡と民地の境界杭と思われます。「特別史跡境界」の裏側は「文化財保護委員会」。
姫路城中濠趾
白鷺城濠趾
殿堂
撮影:2023年3月 兵庫県姫路市
姫路城の中濠は大正時代より少しずつ埋め立てられていたようです。昭和に入り本格的に埋め立てられ、昭和7年(1932年)、現在の国道2号の一部ができています。
2国は東の方は、昭和8年(1933年)には、現在の保健所、商工会議所あたりの家屋移転も終わり、市川までつながったようですね。
昭和から平成の初めにかけて、この付近の国道と歩道の改修事業がありました。このときに境界石が掘り出されたのではないでしょうか。もともとは文字の下あたりまで埋まっていたはず。
從是北方三尺 濠趾境界線
殿堂
撮影:2023年1月 兵庫県姫路市
別の石の向かって左側。「從是北方三尺 濠趾境界線」と読めます。「北方三尺」すなわち向かって左側に1mほど入ったあたりが、濠趾の境界であるとのこと。
下の国道二号線建設之碑同様、昭和8年(1933年)ごろの設置と思われます。測量がらみの境界杭ではなく、旧境界を示す石標です。
国道二号線建設之碑
撮影:2023年3月、1月 兵庫県姫路市
大手前通りより2本西、西本町交差点北東側にある国道二号線建設之碑。2枚目は裏側で「昭和八年参月建之 兵庫縣」とあります。表側には以下のように彫り込まれています。
昭和七年貳月國道貳號線改
修ノタメニ城濠東西凡ソ四
百五拾米ヲ埋メテ道路トナ
ス依テ別ニ境石ヲ置キ其ノ
城濠タリシコトヲ示ス
石碑の「別ニ境石ヲ置キ」というのは、上記白鷺城濠趾の境界石のことなのでしょう。
この石碑は説明板拡大画像(900×1000px,107KB)に赤丸で記された位置にあります。
江戸時代後期の侍屋敷図を見ると、このあたりの中濠より上(北側)が、ピンク色で塗られた武家屋敷エリア(中曲輪(なかぐるわ))で、下が町人の住む区域(外曲輪)でした。さらに上の内濠より中は、天守群のある内曲輪です。
史跡姫路城中濠 昭和八年三月建設
殿堂
撮影:2020年12月、2023年3月 兵庫県姫路市
中濠の一部は今でも残されていて、何か所かに石碑が建てられています。これも境界杭ではありませんが、中濠の境はほぼ史跡界になっています。
参考:特別史跡姫路城跡案内図(鵰門付近)拡大画像(1500×1500px,304KB)
2021年1月24日:ページ作成。2021年2月18日:ページ分割。2021年4月5日:関厚敷地追加。2021年6月28日:兵庫県境界杭追加。2021年6月29日:陸軍省追加。2022年4月12日:姫駅周、工マーク引照標追加。2022年4月13日:兵庫県コンクリート杭1枚追加。2023年3月22日:境界標再編、分割。陸軍1枚、建設省国交省、国有敷、旧郵政互助会、林野庁、姫路城中濠関連追加。