姫路陸橋
撮影:2011年1月 兵庫県姫路市神屋町
姫路陸橋の様子
撤去前の空撮
昭和53年2月15日発行 No.569号 P2「播但線高架計画まとまる」の記事より
画像の中ほど左右に伸びているのが陸橋。上から下にカーブしながら走っていているのが播但線。
撤去直後
広報ひめじ 昭和58年11月15日発行 No.658号 P2「高架播但線が来年秋開通へ」の記事より
この時点で交差部分の高架は完成しており、線路と国道2号は踏切で平面交差していました。播但線の高架が開通するのは翌昭和59年(1984年)10月1日。
「陸橋」とありますが、これはどこにでもある横断歩道橋ではなく、昭和58年(1983年)10月撤去された姫路陸橋のことでしょう。同陸橋は、JR播但線が地上を通っていたときに架けられた、線路をまたぐ国道2号の跨線橋で、昭和11年(1936年)11月完成。当時はまだめずらしかった単脚式のコンクリート橋でした。
『姫路市産業要覧』によると、当初の延長は275m。播但線だけでなく、姫路城の外堀や大阪ガスの前を通る銀の馬車道(旧生野鉱山寮馬車道)もまとめてまたいでいたので、立派な橋になったようです。資料では、昭和11年末時点で、兵庫県内の国道2号に架かる200m以上の橋は1本となっています。ただし前年は6、翌年は7なので、他の橋梁は架け替え中だったのではないでしょうか。いずれにしても最も長い橋梁のひとつだったはずです。広報ひめじなどによると、撤去前は約340mでした。
幅員は2車線6mで開通し、昭和47年(1972年)に片側2車線の4車線16mに拡幅されています。開通時より自動車専用道路で、人や自転車、リヤカー、牛馬の引く荷車などの低速車は、橋の下の側道を通行していたとのこと。側道を含んだ幅員は踏切部分を除き16mで、こちらものちに拡幅されました。現在でも、播但線東側の国道2号の歩道部分は、陸橋があった区間は幅が広くなっています。
姫路市街地を走る播但線は、陸橋付近を含む朝日町~砥堀間約5kmが、昭和59年(1984年)10月1日高架に切り替えられ、さらに平成20年(2008年)12月22日、橋上化された姫路駅に乗り入れ、高架化が完成しました。