路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
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97.罪の素


キリスト看板

おなじみのキリスト看板。「キリストは十字架で人の罪を負った」とある。この壁には、数枚の看板やポスターがほぼ十字の形に貼られていて、十字架の中心、キリストの位置にちょうどキリスト看板がある。

見たところ金融関係の看板がほとんどだ。現代の十字架は借金であるのか。融資がなければ会社経営は厳しいが、資本主義社会においては、金の切れ目は命の切れ目。先立つものがないと、病気になっても満足な治療も受けられない。

様々な事情でお金を借りる人がいるが、それは罪なのだろうか。あるいは、お金の存在そのものについてはどうなのだろう。人間の欲望と繋がっているので、罪作りなものであるのは確かだが。


かつて考古学者の故佐原眞先生が、狩猟中心の時代よりも、農耕が始まってからの時代の方が好戦的とおっしゃっていた。世界的に見てもそうで、日本においても、明らかに殺されたと思われる人骨が多く発見されるのは、弥生時代になってからとのこと。

狩猟で得られた獲物は、消費期限の短いものが多いが、穀物は長期保存が可能だ。「貯められる」ことは便利だが、それは争いの元でもある。自分の村に貯えがあっても、先のことを考えるとさらに貯えたい。それで近隣の村を襲い、戦争が発生する。

貯蔵でき種をまけば増やすこともできる穀物を、さらに便利にしたものがお金。脳が発達し貯える技術を持った人間が、お金や金融システムを発明したのは必然であった。もし、お金にまつわる様々なことが罪であるなら、罪の根源は人間の知能の高さにあることになる。そして罪という概念もまた、人の頭脳の産物なのである。

2008年9月 京都府城陽市

(2008年9月9日作成)