材料2 建材
建材
フジテツトタン
マルエス亞鉛鉄板
撮影:2002年2月
東京都千代田区丸の内二丁目6番1号 丸の内パークビルディング、日本製鉄(株)
フジテツトタンは旧富士製鐵製、マルエス亞鉛鉄板は旧八幡製鐵。
昭和9年(1934年)、官営八幡製鐵所と民間企業6社により日本製鐵(株)設立。昭和25年(1950年)、日本製鐵が解体され八幡製鐵株式會社、富士製鐵株式會社など4社に分離。昭和45年(1970年)3月31日、八幡製鐵と富士製鐵が合併、新日本製鐵株式會社が設立されました。
平成24年(2012年)10月1日、新日本製鐵と住友金属工業(株)が合併、新日鐵住金株式會社に。平成31年(2019年)4月1日、日本製鉄株式会社に社名変更。
姫路にも広畑製鉄所があります。昭和14年(1939年)10月の火入れ当時は、日本最大で最新鋭の設備を誇っていました。高炉の火は平成5年(1993年)6月消え、夜空を赤く染めた光景も今では見られません。ちなみに製鉄所の住所は「広畑区富士町」。富士製鐵時代の名残ですね。
日立ひょうたん印鉄管継手販売店
撮影:2005年3月
東京都江東区豊洲五丁目6-36 豊洲プライムスクエア、(株)プロテリアル
明治43年(1910年)6月、戸畑鋳物(株)設立。昭和10年(1935年)11月、国産工業(株)に社名変更。昭和12年(1937年)(株)5月、日立製作所が国産工業を合併。昭和31年(1956年)4月、日立金属工業(株)として独立。昭和42年(1967年)1月、日立金属に変更。
令和5年(2023年)1月4日、(株)プロテリアルに社名変更。アメリカのファンド、ベインキャピタル傘下になりました。
創業者の鮎川義介氏は日産コンツェルンの創始者で、孫の純太氏が一時女優の杉田かおるさんと結婚していました。トレードマークのひょうたん印は戸畑鋳物時代より使われています。琺瑯看板の時代は、子会社が製造、日立金属が販売していました。
2枚目はひょうたん印ガス鉄管継手
雁印(がんじるし)亞鉛鉄板特約店
撮影:2005年3月 拡大画像(40KB)
雁印 トタン板 大同鋼板
撮影:2006年3月
東京都中央区日本橋本町一丁目5番6号 第10中央ビル、日鉄鋼板(株)
明治32年(1899年)富永商店として創業。昭和9年(1934年)富永鋼業(株)設立。昭和16年(1941年)大同製鋼と合併。昭和25年(1950年)2月、企業再建により大同製鋼(株)と大同鋼板(株)が設立されました。亞鉛鉄板は大同鋼板が担当。住所は兵庫県尼崎市杭瀬南町三丁目2-1。
平成14年(2002年)10月、大洋製鋼(株)と事業統合、日鉄鋼板(株)に。平成18年(2006年)12月1日、住友金属建材(株)の建材薄板部門と統合、日鉄住金鋼板(株)が誕生。平成31年(2019年)4月1日、新日鐵住金の社名変更に伴い、日鉄鋼板(株)に改称。
社史によると、ブランドの雁印は、看板にあるものは戦前より使われていて、昭和26年(1951年)9月に商標登録。昭和32年(1957年)2月に雁を真横から見たシルエットに変更されました。平成13年(2001年)4月より、現在の斜め上を向く赤い雁のマークが使用されています。雁印亞鉛鉄板は大正13年(1924年)9月発売。
三星印 地球印 トタン板
撮影:2005年3月
地球印というのがよくわかりませんが、鉄板の三星印は中山製鋼所関連のブランドで、尼崎製鈑や木津川製線(株)といったメーカーが三星印を使用していました。木津川製線(株)は昭和25年(1950年)設立。平成11年(1999年)三星産業、木津川製線、三星スチールが合併、中山三星建材(株)が誕生しています。住所は大阪府堺市堺区山本町6丁124番地。
2022年4月1日、中山三星建材は(株)中山製鋼所に吸収され消滅。堺市の社屋は中山製鋼所の建材事業本部になっています。
ペンキのいらないトタン板 月星カラー
撮影:2001年12月
東京都千代田区丸の内三丁目4番1号 新国際ビルにあった日鉄日新製鋼(株)の看板
明治44年(1911年)5月、大阪で亜鉛鍍(株)設立。大正5年(1916年)7月、大阪鉄板製造(株)に改称。昭和28年(1953年)11月、徳山鉄板(株)に合併され、日本鐵板(株)に。昭和34年(1959年)4月、日亜製鋼(株)と合併、日新製鋼(株)となっています。
その後持株会社化を経て、親会社となった日本製鉄の社名変更に伴い、平成31年(2019年)4月1日現社名に変更。令和2年(2020年)4月1日、日本製鉄が吸収合併し消滅。
月星カラーは昭和34年発売。
サクラ印 ヨドコウ 亞鉛鉄板 淀川製鋼所特約店
撮影:2005年3月 拡大画像(35KB)
大阪市中央区南本町四丁目1番1号、(株)淀川製鋼所
柱サイズ。昭和10年(1935年)設立。サクラ印のマークは昭和25年(1950年)8月より。
不燃建築材料 石綿スレート
撮影:2003年10月
このトレードマークは、石綿協会のかつてのマークでしょう。石綿スレートは、セメントと石綿(アスベスト)とを水で練り合わせた板。屋根用や壁材など多くの種類があります。国産の石綿スレートは、現在の(株)エーアンドエーマテリアルが、大正3年(1914年)に製造したのが始まりとされています。吹き付けられたアスベストとは違い、破損しなければ飛散しないので安全とされてきました。
しかし、災害により、すみやかに多くの建物を解体・撤去する必要がある場合など、確実な防護策が施されるかどうか、多少の疑問もあります。また、アスベスト製品を製造している方々を中心に、悪性中皮腫などにかかる例が報告されるようになり、今後相当数の患者が出るという予測もなされています。平成18年(2006年)9月、アスベストの使用は特定分野での使用を除き全面禁止になりました。
ナショナル雨とい 松下電工建材店
撮影:2002年12月
大阪府門真市大字門真1048番地、パナソニック(株) エレクトリックワークス社
大正7年(1918年)3月、松下幸之助氏が松下電気器具製作所を創業。創業地は大阪市福島区。昭和10年(1935年)12月、分社化し松下電器(株)設立(グループのトップは松下電器産業(株))。昭和20年(1945年)11月、松下電工(株)に改称。平成16年(2004年)、松下電器産業の子会社に。
平成20年(2008年)10月、パナソニック電工(株)に社名変更。平成24年(2012年)1月1日、パナソニック(株)に合併され解散。解散後の住宅設備関連商品はパナソニック(株)のエコソリューションズ社が担当。
平成31年(2019年)4月1日改称、パナソニック(株) ライフソリューションズ社に。令和3年(2021年)10月1日より現社に。
「雨」の文字に雨だれが1粒入っていますね。合成樹脂製の雨といは昭和33年(1958年)発売なのだそうです。「ナショナル」の商標は昭和2年(1927年)より使用されています。
関西煙突 販売店
撮影:2004年2月
セキスイ エスロン雨(とい)
撮影:2004年9月
大阪市北区西天満二丁目4番4号 堂島関電ビル(大阪本社)、東京都港区虎ノ門二丁目10番4号(東京本社)、積水化学工業(株)
昭和22年(1947年)3月設立。「積水」は孫子の兵法に由来するとか。
Y.K.K.ハイサッシ
撮影:2002年1月
琺瑯製なのでよく残っています。
Y.K.K.アルミサッシ
撮影:2002年3月
東京都千代田区神田和泉町1番地 YKK80ビル、YKK(株)、YKK AP(株)
YKK(株)は昭和9年(1934年)創業。昭和32年(1957年)、YKKの子会社吉田商事(株)設立。昭和36年(1961年)吉田商事がアルミ建材の製造を開始。平成2年(1990年)2月、YKKアーキテクチュラルプロダクツ(株)に、平成14年(2002年)10月、YKK APに社名変更。
ホクセイカラーサッシ
撮影:2002年6月
東京都江東区大島二丁目1-1、(株)LIXIL
昭和18年(1943年)12月、北陸軽金属工業(株)設立。昭和36年ごろの住所は富山県高岡市金屋町168でした。のちにホクセイアルミニウム(株)と変更後、昭和63年(1988年)3月、新日軽(株)に合併されます。
平成12年(2000年)日本軽金属(株)の、さらに平成22年(2010年)4月、INAXなどの関係する(株)住生活グループの完全子会社となり、平成23年(2011年)4月、グループ内子会社の合併により(株)LIXILとなりました。
三協アルミ カラーサッシ
撮影:2003年3月
富山県高岡市早川70番地、三協立山(株) 三協アルミ社
昭和35年(1960年)設立。平成15年(2003年)12月、下の立山アルミニウム工業と共に、持ち株会社三協・立山ホールディングス(株)を設立。平成18年(2006年)6月1日、立山アルミと合併し、三協立山アルミ(株)に社名変更。平成24年(2012年)三社合併で三協立山(株)設立。
立山アルミサッシ
撮影:2002年5月
富山県高岡市早川70番地、三協立山(株) 三協アルミ社
昭和18年(1943年)、竹平製作所として創業。昭和23年(1948年)10月、立山鋳造(株)設立。昭和35年(1960年)1月、立山アルミニウム工業に改称。平成18年(2006年)6月1日、三協アルミニウム工業(株)と合併。旧住所は富山県高岡市早川550番地。
住宅用アルミサッシ サニーライン 特約販売店 製造元 昭和コーニア
撮影:2005年3月 拡大画像(41KB)
アルミ産業の歩みによると、明治34年(1901年)、高木鶴松氏が大阪市内に「高木アルミニューム製造工場」を創立。これが日本におけるアルミニウム工業の始まりだそうです。昭和10年(1935年)12月、(株)高田アルミニューム製作所設立。昭和32年(1957年)1月、昭和電工(株)が資本参加したことにより、昭和アルミニウム(株)に社名変更。
昭和38年(1963年)、昭和アルミニウムが昭和コーニア(株)設立。昭和49年(1974年)昭和アルミサッシ販売(株)に社名変更。昭和59年(1984年)、ストアフロント部門が昭和フロント販売(現・昭和フロント(株))として独立。住宅用アルミサッシ部門がどうなったのかよくわかりません。昭和アルミニウムは、平成13年(2001年)3月、昭和電工に合併され消滅しました。
日本板硝子 販売店
撮影:2009年3月
日本板硝子 ガラス 販売店
撮影:2004年10月
大阪府大阪市中央区北浜四丁目5番33号 住友ビル本館4階(大阪本社)、東京都港区三田三丁目5番27号 住友不動産三田ツインビル西館(本店)、日本板硝子(株)
大正7年(1918年)11月、日米板ガラス(株)として大阪市で設立。昭和6年(1931年)1月、現社名に変更。
旭硝子 販売店
撮影:2002年9月
東京都千代田区丸の内一丁目5番1号、AGC(株)
明治40年(1907年)兵庫県尼崎市に旭硝子(株)設立。平成30年(2018年)7月、現社名に変更。三菱グループ。
シンプルで美しい看板です。
日本電氣硝子株式會社 建築用硝子 特約店
撮影:2004年9月
滋賀県大津市晴嵐二丁目7番1号、日本電気硝子(株)
昭和19年(1944年)日本電気(株)により設立。戦後は業務を中断していましたが、昭和24年(1949年)12月に日本電気より独立し業務再開。ディスプレイ用ガラスのシェアが多いようです。
塗料
ロックペイント
撮影:2002年1月/2008年9月
大阪府大阪市西淀川区姫島三丁目1番47号(大阪本社)、東京都江東区南砂二丁目37番2号(東京本社)、ロックペイント(株)
昭和6年(1931年)創業。昭和27年(1952年)4月、(株)ロック塗料製造所設立。昭和30年(1955年)7月、ロックペイント(株)に社名変更。自動車補修用塗料や建築塗料などの製造販売を行うメーカーです。
ロックペイント金属製立看板(99KB)
塗料の宣伝にふさわしい色数の多い金属看板。これは琺瑯では出しにくいかと。
家庭塗料 アサヒペン
撮影:2008年8月
家庭塗料 アサヒペン
撮影:2008年8月
フランジ(張り出し)タイプ。
大阪府大阪市鶴見区鶴見四丁目1番12号(大阪本社)、東京都江東区猿江二丁目3番16号(東京本社)、(株)アサヒペン
昭和15年(1940年)大和塗料工業所として創業。昭和22年(1947年)旭ペイント(株)に改組。昭和40年(1965年)現社名に変更。
カンペ 家庭塗料
撮影:2005年3月
大阪府大阪市中央区今橋二丁目6番14号、関西ペイント(株)、(株)カンペハピオ
関西ペイントは大正7年(1918年)5月、兵庫県尼崎市神崎町で設立。家庭塗料は、昭和35年(1960年)6月より、子会社のカンペハピオ(旧カンペ家庭塗料(株))が担当。
東亞 家庭ペイント 販売店
撮影:2003年10月
(株)トウペの看板ではないかとの情報をいただきました。情報提供に感謝いたします。
(株)トウペは、大正4年(1915年)12月、東亜ペイント製造(株年)設立。昭和24年(1949年)6月、東亜ペイント(株)に、平成5年(1993年)4月、(株)トウペに社名変更。本社所在地は大阪府堺市西区築港新町一丁5番地11です。
この看板は琺瑯ではありませんが、店内に飾られているので色がよく残っています。カンペ家庭塗料同様吊り下げ看板です。
家庭塗料 サンデーペイント 大日本塗料
撮影:2008年4月
大阪府大阪市中央区南船場一丁目18-11 SRビル長堀、大日本塗料(株)、サンデーペイント(株)
昭和4年(1929年)鉛粉塗料(株)として設立。昭和11年(1936年)5月大日本塗料(株)に社名変更。車両や船舶の塗料、錆止めの重防食塗料、建材用塗料などの製造販売を手がける大手メーカー。
家庭塗料部門は、昭和41年(1966年)4月、サンデーペイント(株)として独立しています。
川上塗料 販売店
撮影:2007年11月
兵庫県尼崎市塚口本町二丁目41番1号、川上塗料(株)
明治34年(1901年)創業。昭和20年(1945年)会社設立。
鶏のようなマークがうまく撮れませんでした。
日本の美を求めて 日東
撮影:2003年12月
メーカー不明。
ハト印 ルーフイング 販売店 静岡・東京 静岡瀝青工業株式会社
撮影:2003年4月
静岡県静岡市葵区紺屋町4番8号、静岡瀝青工業(株)
昭和28年(1953年)6月創業。