路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
お散歩 Photo Album

 
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酒1 灘五郷

灘五郷とは兵庫県西宮市から神戸市東部にかけての海岸沿い、今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷のこと。名水「宮水」の発見以来、日本屈指の酒蔵地帯になりました。

今津郷、西宮郷(西宮市)

大関 日本盛

酒の司 大関 樽詰 壜詰
撮影:2001年10月

兵庫県西宮市今津出在家町4番9号、大関(株)

正徳元年(1711年)創業。当時の酒銘は「万両」。明治22年(1889年)より、当時の大相撲の最高位である「大関」の銘を用いています。昭和39年(1964年)、カップ酒第1号である「ワンカップ大関」発売。創業者大坂屋長兵衛の名を冠した吟醸酒も発売。

灘銘酒 日本盛 樽詰 壜詰
撮影:2001年10月

兵庫県西宮市用海町4番57号、日本盛(株)

明治22年(1889年)、西宮企業会社として設立。「日本盛」は創業時地元の蔵より譲り受けたとか。明治29年(1896年)西宮酒造(株)、平成12年(2000年)現社名に。明治43年(1910年)には酒造高日本一にもなりました。化粧品も好評です。

白鹿 白鹿

銘酒 白鹿 辰馬醸
撮影:2001年10月/撮影:2006年4月

兵庫県西宮市建石町2番10号、辰馬本家酒造(株)

寛文2年(1662年)創業。大正6年(1917年)設立。「白鹿」の銘は「鹿寿千年にして白鹿となる」という中国の言い伝えによるとか。大正9年(1920年)、辰馬家が出資し甲陽学院が設立されています。
2枚の看板はマークが微妙に違いますが、ほぼ同じものと考えて良いでしょう。

島美人 甲陽鶴

高級清酒 島美人
撮影:2002年6月

兵庫県西宮市宮前町8番3号、北山酒造(株)

大正8年(1919年)兵庫県小野市粟生町島にて創業。「島美人」の銘は創業地に由来します。
現在蔵の跡地は店舗と北山酒造の事務所に。製品は平成30年(2018年)現在でも販売されています。

灘の生一本 甲陽鶴 灘 西宮 甲陽醸造
撮影:2008年1月

兵庫県西宮市宮前町8番14号にあった甲陽醸造(有)の看板。

昭和29年(1954年)創業。阪神・淡路大震災後廃業。ブランドは沢の鶴が引き継いだということでしたが、2022年現在、製品は出てないような。

和源、酒豪雨戸看板

清酒 和源 / 清酒 酒豪(雨戸看板)
撮影:2015年12月 大阪府大阪市
拡大画像(57KB)

兵庫県西宮市東町二丁目2-15にあった東洋醸造(株)西宮工場の看板
兵庫県神戸市東灘区魚崎南町四丁目8-3にあった豊澤酒造(株)の看板

これ以外の看板をついに見ることがなかった和源。もとは戦時中の昭和18年(1943年)、企業整備令で大阪市内の7つの蔵が合併したことに始まります。戦中戦後はなかなか安定して酒造できなかったようですが、昭和33年(1958年)、西宮郷に蔵を建設。和源酒造(有)と改称。

昭和38年(1963年)10月東洋醸造(株)に合併され、同社の灘の生産拠点として操業してきました。平成4年(1992年)1月、旭化成が東洋醸造を合併。

平成7年(1995年)1月の阪神・淡路大震災で被災。1年後跡地にマンションが建ちました。

酒豪のほうは西宮ではなく神戸・魚崎郷の豊澤酒造(株)のブランドでした。豊澤酒造は震災後福寿酒造(株)とともに(株)神戸酒心館を設立します。酒豪ブランドは大関に引き継がれたとのことですが、2024年現在販売されているかどうか不明です。

ワンカップ大関自販機

ワンカップ大関自販機
撮影:2006年4月 大阪府八尾市
パネル拡大画像(50KB)

未成年者および自動車の運転者は飲酒禁止であること、また午後11時から午前5時までは販売停止であることを知らせる注意書きと、管理責任者の情報がステッカーになって貼り付けられています。

これは平成元年11月22日付国税庁告示第9号「二十歳未満の者の飲酒防止に関する表示基準を定める件」により表示されているのでしょう。
ほぼ昭和の自販機と思われます。

2024年現在、屋外の稼働している酒自販機は激減した印象です。小規模な酒屋さんなら、身分証明の読み取り機の付いた、メーカー相乗り自販機を1台置いている程度で、置かれていない店も多いです。
店舗内での対面販売が基本なのでしょう。

日本盛自販機 日本盛自販機

日本盛自販機
撮影:2024年11月 兵庫県姫路市
パネル拡大画像(50KB)

大関でステッカーになっている注意書きは元から印刷されていました。平成になってからのものでしょう。

「ワンカップ」は大関の登録商標です。カップ酒の商標は、日本盛は「サカリカップ」、下の白鹿はグラスカップ。他メーカーもそれぞれ独自の名前があります。

白鹿自販機

白鹿自販機
撮影:2024年10月 兵庫県姫路市
パネル拡大画像(53KB)

こちらも未成年者および自動車の運転者は飲酒禁止であることと、販売停止時間を知らせる注意書きがステッカーになって貼り付けられています。昭和の自販機と思われます。

見本の紙パックの下の方、はがれかけている紙には「陳列用 模造酒 非売品」と印刷されていました。

寿海 ザ甲子園の自販機 多聞自販機

寿海 ザ甲子園の自販機
撮影:2008年10月 兵庫県西脇市
サンプル拡大画像(26KB)

ワンカップ大関も入っていました。大手以外のメーカー専用自販機も、昔は割とあったようです。

 

多聞(たもん)自販機
撮影:2012年10月 兵庫県姫路市
パネル拡大画像(26KB)

白鶴が入っていました。こちらも「二十歳未満の者の飲酒防止に関する表示」関連の注意書きが見えます。

お金を入れるところの下の注意書きは元から印刷してあるように見えるので、平成になってからのものでしょうか。念のためステッカーも追加されています。
多聞のカップ酒は「乾杯多聞」でした。


宮水井戸場にみる商標ロゴ
金鹿は元(株)はっこん酒造西宮醸造所の場所です。この時点で住宅になっていました。富貴の井戸場ものちに住宅になりました。

白鷹宮水井戸場拡大画像(84KB)

白鷹の宮水井戸場。大手メーカーは単独の井戸場を持っています。このような巨大な金属キノコがたくさんありました。中堅メーカーの共同井戸もあります。
右の方の銅色のパネルには、宮水と灘酒の説明が書かれています。
撮影:2007年12月 兵庫県西宮市

魚崎郷(神戸市)

國冠

灘の生一本 國冠
撮影:2004年2月

兵庫県神戸市東灘区魚崎西町二丁目2-5にあった国冠酒造(株)の看板。

天保3年(1832年)、埼玉県川越市で創業。大正5年(1916年)灘に進出。大正8年(1919年)株式会社設立、久星酒造(株)に。戦前は埼玉と灘の両方で製造していましたが、昭和28年(1953年)灘に集約。昭和59年(1984年)国冠酒造に社名変更。酒銘は日本酒の正統派という意味だそうです。

平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災で蔵が倒壊、跡地には、外壁や舗道の一部に瓦が使われるなど、酒蔵地帯の景観を考慮したマンションが建ちました。

菊千歳

灘の生一本 清酒 きくちとせ 此のつの樽は日本の江戸時代からのご祝儀用酒器です
撮影:2003年5月
拡大画像(42KB)

兵庫県神戸市東灘区魚崎南町四丁目9-3にあった菊千歳酒造(株)の看板。

明治25年(1892年)創業ですが、震災後、蔵の跡地には賃貸マンションが建ちました。社名で検索すると兵庫県神戸市兵庫区五宮町や西区の住所がヒットしていました。

千緑

清酒 千緑 センリョク 灘・魚崎 魚崎酒造醸
撮影:2007年3月
拡大画像(36KB)

兵庫県神戸市東灘区魚崎南町四丁目13-22にあった魚崎酒造(株)の看板

寛文6年(1666年)創業。戦中の企業整備で他蔵と合併、魚崎酒造となります。当時は戦力という軍用酒を造っていたとか。昭和22年(1947年)銘柄を「千緑」に変更。これは永遠の平和と繁栄を表すとのことです。昭和51年(昭和51年)~56年(1981年)「タイガース」銘柄もあり。

灘の酒』によると、灘には珍しい、桶買い(原酒買い)をしていない蔵であったとのことですが、平成6年(1994年)廃業のようです。

御影郷(神戸市)

菊正宗 菊正宗

清酒 菊正宗 株式会社 本嘉納商店 吟醸
撮影:2003年2月/2002年6月/2003年7月
3枚まとめて菊正宗

兵庫県神戸市東灘区御影本町一丁目7-15、菊正宗酒造(株)

万治2年(1659年)、回船問屋などを営んでいた生魚屋(うおや)治郎大夫宗徳が酒造業を創業。「菊正宗」の銘は明治19年(1886年)の登録と言われています。当主が庭の白菊を見て名付けたものだとか。大正8年(1919年)11月設立。

ハクツル ハクツル

銘酒 ハクツル 灘 白鶴酒造醸 特約店
撮影:2009年8月
清酒 ハクツル 神戸・灘 白鶴酒造醸
撮影:2001年10月

兵庫県神戸市東灘区住吉南町四丁目5-5、白鶴酒造(株)

寛保3年(1743年)、菊正宗創始者の二代あとの材木屋治兵衛長好は、家督を長男に譲り六男をつれて分家。こちらも酒造業を始めます。これが白鶴酒造の祖となります。「白鶴」の酒銘は延享4年(1747年)より。キクマサの本嘉納に対し、こちらは白嘉納と呼ばれました。「白鶴」の商標登録は明治18年(1885年)に行われています。昭和2年(1927年)8月会社設立。

両嘉納家と櫻正宗の山邑家の出資で昭和2年(1927年)、灘中学・高校が設立されています。初代顧問は一族の嘉納治五郎氏(講道館館長)でした。

大黒正宗 大黒正宗

灘の生一本 大黒正宗 安福醸
撮影:2001年10月 拡大画像(51KB)


灘の生一本 大黒正宗 安福醸
撮影:2002年2月

兵庫県神戸市東灘区御影塚町一丁目5-23、(株)安福又四郎商店

宝暦元年(1751年)創業。水戸藩の御用達もつとめました。「大黒正宗」の銘は、大正2年(1913年)山田無文師により名づけられています。昭和24年(1949年)株式会社設立。

安福又四郎商店は大手ではありませんが、地方の酒屋にも「大黒正宗」の看板が掲がり、専用の自動販売機が置かれていることからも、熱心に販売促進をされていたことがうかがえます。

しかし震災で木造の蔵10棟が全壊。酒造は大打撃を受けました。その後大量生産を断念、酒造量を震災前の1割にまで落とし、品質重視の手作りの酒に方針を転換しました。蔵の入り口には「神戸の地酒 大黒正宗」の看板が掛かっていました。

平成26年(2014年)になって、前述した住所は、飲食店などの入る商業施設になりました。安福又四郎商店は白鶴の蔵を借りて醸造中。

大黒正宗自販機

大黒正宗自販機
撮影:2011年1月 兵庫県姫路市
パネル部分拡大画像(70KB)

神戸の風景が描かれた自販機。使われていないようでした。最後は沢の鶴が入っていたようです。これも平成になってから震災までの5年くらいの間のものでしょう。

瀧鯉

清酒 瀧鯉 灘御影 木村醸
撮影:2002年4月

兵庫県神戸市東灘区御影石町一丁目1-5にあった木村酒造(株)

宝暦8年(1758年)創業。NHKの朝ドラ「甘辛しゃん」のロケがここの蔵で行われました。酒銘は、瀧を登った鯉は龍になれるという「登龍門」の故事に由来するものです。震災後しばらくは酒造されていましたが、おそらく2000年代後半に廃業。跡地はマンションと老人福祉施設になりました。ブランドは櫻正宗が引き継いだようです。

鳳凰戎面

鳳凰戎面屋上看板
撮影:2007年12月 拡大画像(46KB)

神戸市東灘区御影石町一丁目6-15、坊垣醸造合名会社
工場屋上の大看板。戎面(えびすかほ)看板は琺瑯、トタンとも見ませんでした。

西郷(神戸市)

金盃

灘の清酒 金盃
撮影:2003年2月 拡大画像(58KB)

兵庫県神戸市灘区大石東町六丁目3-1、金盃酒造(株)

明治23年(1890年)、淡路島で酒造業を営んでいた高田三郎が、神戸の三宮に販売店である本高田商店を開業。灘への進出は大正5年(1916年)。商標登録は昭和3年(1928年)。

金盃とは中国で皇帝より賜わる最も権威あるものでした。現在、蔵の跡地にはマンションと貸ビルが建っていますが、製品は販売されていますね。ビルに本社が入っているんですか。

富久娘 富久娘

清酒 富久娘 摂津灘 花木本家醸造
撮影:2019年11月 拡大画像(38KB)
清酒 富久娘 灘 花木酒造醸
撮影:2006年4月

千葉県松戸市上本郷字仲原250、福徳長酒類(株)

天和元年(1681年)創業。昭和26年(1951年)花木酒造(株)に改組。昭和38年(1963年)富久娘酒造(株)になり東洋醸造(株)の傘下に入りますが、平成4年(1992年)旭化成(株)が東洋醸造を合併。以来旭化成の子会社として酒造業を担当していました。

平成15年(2003年)7月、旭化成の酒類事業からの撤退により、福徳長同様、オエノンホールディングスのグループ会社になりました。

さらに平成30年(2018年)、グループ再編で清酒事業を手放しオエノンプロダクトサポートに変更。これ以前はグループの灘における生産拠点として「福徳長」なども醸造していましたが、「富久娘」は福徳長酒類が生産することになりました。

旧富久娘酒造(株)。現在はオエノンプロダクトサポート(株)。住所は兵庫県神戸市灘区新在家南町三丁目2-28。
「富久娘」の銘は、蔵元の信仰していた亀戸天神社の縁起物のお多福面より。

旧富久娘酒造社屋看板

「富久娘」の看板がまだあったころ。撮影:2007年12月。
広域拡大(77KB)
拡大画像の手前左は旧福徳長酒造、当時のオエノングループ企業の関西支店。右は旧忠勇、当時の白鶴大石工場。2024年現在左右とも関西国際学園神戸校に。

福徳長 福徳長自販機

灘清酒 福徳長
撮影:2019年11月
福徳長自販機拡大画像(57KB)

千葉県松戸市上本郷字仲原250、福徳長酒類(株)

寛政4年(1792年)創業。もとは大阪府堺市堺区石津北町にありました。
昭和42年(1967年)灘誉酒造(株)(昭和38年(1963年)設立)が福徳長酒造(株)を合併。

平成3年(1991年)、昭和28年(1953年)森永製菓より分離設立された森永醸造(株)が灘誉酒造を合併、福徳長酒類(株)と改称。

平成13年(2001年)合同酒精(株)の傘下に。合同酒精は平成15年(2003年)7月、持株会社オエノンホールディングス(株)に移行。

酒銘は、中国の古文経より得た「福徳円満ナレバ長寿無量ナリ」に由来すると言われます。寛政年間、将軍にも献上されたという伝統の酒。かつては神戸市灘区新在家南町四丁目8-1に蔵がありました。西宮市鷲林寺一丁目2-16にあった灘工場は閉鎖になりました。

2枚目は森永醸造の自動販売機。おなじみエンゼルマークが見られます。
国立国会図書館デジタルコレクションのサーチによると、灘誉酒造に合併される直前あたりで、製品を森永醸造が販売することになったようです。
1990年ごろのものかと思っていたのですが、500円玉発行以降の昭和の自販機でしょう。
撮影:2007年6月 兵庫県高砂市

オエノン旧関西支店内タンク

撮影当時オエノン各社の旧関西支店、元々福徳長酒造の敷地にあった琺瑯製醸造タンクふうの物体。
撮影:2007年12月 新在家南町四丁目

忠勇
工場屋上の忠勇看板

清酒 忠勇 灘若林醸
撮影:2008年4月
小型の吊り下げ看板です。拡大画像(79KB)

兵庫県神戸市東灘区住吉南町四丁目5-5、白鶴酒造(株)
愛知県名古屋市中区栄一丁目7番34号、盛田(株)

旧忠勇(株)は享保年間の創業。明治29年(1896年)若林合名会社設立。ブランドの「忠勇」はこのとき誕生しました。昭和19年(1944年)株式会社設立。昭和41年(1966年)忠勇(株)に社名変更。看板はこのころまでのものでしょう。昭和51年(1976年)、清酒忠勇の商標権を白鶴酒造に譲渡。

平成12年(2000年)4月合併によりマルキン忠勇(株)、平成18年(2006年)2月持株会社制でジャパン・フード&リカー・アライアンス(株)に。製造部門を新・マルキン忠勇(株)とします。平成25年(2013年)4月1日、グループ再編によりマルキン忠勇はグループ内の盛田(株)に合併されました。

戦後は忠勇ブランドの奈良漬も有名になりました。マルキンと合併後も操業していた神戸市灘区新在家南町五丁目6-1の奈良漬工場はなくなり、生産は徳島県名西郡石井町浦庄字国実247番地2の忠勇(株)(盛田の子会社)に集約されたようですね。

2枚目は当時の白鶴大石工場屋上に残されていた看板。琺瑯と同じロゴが見えます(2007年12月撮影)。かつてこの場所に忠勇(株)がありました。現在は関西国際学園神戸校。

忠勇自販機

忠勇自販機
撮影:2003年6月 兵庫県姫路市
パネル拡大画像(54KB)

園山俊二さんの? イラストが描かれている専用自販機。山陽姫路駅付近の高架近くにありました。「500円玉使えません」というシールが貼ってありました。これも昭和の自販機ですね。

澤之鶴

灘の生一本 ※澤之鶴
撮影:2003年4月 拡大画像(85KB)

兵庫県神戸市灘区新在家南町五丁目1番2号、沢の鶴(株)

享保2年(1717年)創業。酒銘は、丹頂鶴がくわえてきた稲穂で酒を造り天照大神に供えたという伊雑宮の縁起にちなむとか。商標登録は明治18年(1885年)。「昔の酒蔵」沢の鶴資料館もあります。

白鶴、澤之鶴自販機 澤之鶴自販機側面 沢の鶴自販機

白鶴、澤之鶴自販機
撮影:2011年3月

白鶴の自販機はけっこうあちこちにあったと記憶していますが、画像は斜めショットしかありませんでした。緑の方はアサヒビールに乗っ取られた澤之鶴自販機。

澤之鶴自販機側面
撮影:2008年1月
「日本の心を伝える」と書かれています。販売が停止されていたようで、道路側には正面が向いていませんでした。

沢の鶴自販機
撮影:2024年10月
3枚目は「沢の鶴」時代のもの。平成3年(1991年)9月、CI導入により新ロゴマークが採用されました。
上部拡大画像(85KB)
パネル上部には「自然の恵み 心の広がり」と書かれています。

「新500円使えません 旧500円使えます」というステッカーが貼ってあります。
2代目の500円玉が発行されたのは、平成12年(2000年)8月1日のこと。
ステッカーが貼られたのはそのあたりでしょう。自販機自体は90年代のものと思われます。

 

灘五郷酒蔵一覧

日本酒の出荷量は昭和50年(1975年)ピークを迎え、その後減少に転じます。以下の表は昭和50年ごろ灘五郷に存在した酒蔵の一覧です。

(注:太字は灘で醸造している蔵。震災とは平成7年(1995年)1月の阪神・淡路大震災。データは平成19年(2007年)12月が中心。2024年10月までに4回一部修正)

今津郷

主な銘柄蔵元(当時)蔵元住所(当時)備考
扇正宗
初鷹
今津酒造(株)西宮市今津社前町5-22昭和19年(1944年)、企業整備で4つの蔵が合併し誕生。おのおのの蔵は江戸~明治期の創業か。蔵の跡地は酒のやまや今津店に。今津酒造の事務所あり。表札、看板もある。
白雪小西酒造(株)西宮工場西宮市今津港町1-18天文19年(1550年)創業。西宮工場跡地は、2005年ホームセンターコーナン西宮今津店等の入る商業ビルに。近くの「白雪酒造前」の交差点標示は「今津港町」に変更された。
西宮工場第二工場(西宮市東町一丁目9-2)はコープこうべの建物に。生産は伊丹に集約。
世界一統(株)世界一統灘工場西宮市今津出在家町3-5明治17年(1884年)紀州藩の蔵を引き継ぎ和歌山で創業。灘工場は昭和41年(1966年)~平成3年(1991年)(灘進出は明治時代)。現在は大関の魁蔵に。
大関大関酒造(株)西宮市今津出在家町4-9正徳元年(1711年)創業。平成3年(1991年)より大関(株)
金鹿灘酒造(株)西宮市深津町1-7大正5年(1916年)~終戦まで朝鮮半島で操業。昭和30年(1955年)新たに灘酒造(株)設立。平成19年(2007年)3月大関グループに。本社を西宮市今津出在家町6-13に移転していたが2020年ごろマンションが建った。左記住所もマンションに。移転後は大関が醸造。2024年現在金鹿ブランドは大関が販売。

西宮郷

主な銘柄

蔵元(当時)

蔵元住所(当時)

備考

日本盛西宮酒造(株)西宮市用海町4-57明治22年(1889年)設立。平成12年(2000年)より日本盛(株)
灘自慢国産酒造(株)西宮市東町一丁目12-24文久元年(1861年)創業か。2024年現在コープ神戸などに。事務所の建家あり。
多聞多聞酒造(株)西宮市東町一丁目13-11大正9年(1920年)創業。平成14年(2002年)12月倒産。ブランドは大関に譲渡。広い敷地は2014年4月現在、ヤマモリ(株)、マンション、一戸建の宅地などに利用されている。
宝娘大澤酒造(株)西宮市東町一丁目13-25寛永3年(1750年)堺市で創業。昭和29年(1954年)灘に進出。平成17年(2005年)蔵を分割、大澤本家酒造(株)に。住所は西宮市東町一丁目13-28。元の住所では清酒「徳若」の万代大澤醸造(株)が操業。
日本城(株)吉村秀雄商店灘西宮工場西宮市東町二丁目1-10大正4年(1915年)創業。灘西宮工場は昭和37年(1962年)~平成7年(1995年)まで操業(灘進出は大正時代)。震災後は生産を和歌山県岩出市に集約。跡地は(株)アテックなどに。
和源東洋醸造(株)西宮工場西宮市東町二丁目2-15昭和18年(1943年)企業整備令で大阪市内の7蔵が合併、大阪酒類醸造(有)設立。「和源」はこのとき採用されたか。昭和33年(1958年)和源酒造(有)に改称。のち株式会社に。昭和38年(1963年)東洋醸造が合併。平成4年(1992年)旭化成に合併される。
震災後工場跡地は平成8年(1996年)1月、南隣にあった旭化成西宮工場と共にマンションに。旭化成は平成15年(2003年)清酒事業を現在のオエノンホールディングス(株)へ譲渡。静岡県大仁町の蔵は廃止され、旧東洋醸造の主力ブランド「菊源氏」はオエノングループの福徳長が醸造。
喜一木谷酒造(株)西宮市石在町14-28天保4年(1833年)創業。震災後敷地の一部は(株)NSE総合受注センター西宮を経て2014年には星乃珈琲店、宮水井戸と表札はある。生産はOEMか。
辰鷹
金亀
共栄酒造(株)西宮市石在町19-6昭和25年(1950年)創業。昭和55年(1980年)ごろまであったか? 震災前からマンションになっている。
金鷹
いろは
本野田酒造(株)西宮市久保町5-16寛政3年(1791年)創業。震災後は洋菓子工房兼店舗の「アンリ・シャルパンティエ ハーバースタジオ43酒蔵通り店」に。のちに蔵は久保町4-9に移転。こちらは事務所あり。
花房花房酒造(株)西宮市久保町13-9明治2年(1869年)大阪で創業。戦時中は「和源」の大阪酒類醸造(有)に参加。昭和31年(1956年)独立。震災後は日本環境の倉庫に。集合住宅の建家もある。
白鹿辰馬本家酒造(株)西宮市鞍掛町6-20寛文2年(1662年)創業。跡地はスーパーの駐車場か。本社は現在西宮市建石町2番10号に移転。
寿海
百万石
百萬石酒造(株)西宮市浜脇町4-26昭和34年(1959年)、沢の鶴の子会社新寿海酒造(株)として創業。昭和48年(1973年)百萬石酒造に。震災後跡地は特別養護老人ホームや一戸建宅地に。ブランドは沢の鶴が引き継いだ。会社は沢の鶴の関連会社としてまだ残っている模様。
ツル正宗ツル正宗酒造(株)西宮市浜脇町6-9昭和36年(1961年)創業。震災後跡地はマンションに。
白鷹(株)辰馬悦蔵商店西宮市浜町1-1文久2年(1862年)創業。平成4年(1992年)白鷹(株)に。
富貴合同酒精(株)灘西宮工場西宮市浜町2-29明治33年(1900年)北海道旭川市で創業。焼酎、ワインも有名。震災後跡地はマンションに。生産は旭川などの他工場に集約。オエノングループの中心企業。
文楽北西酒造(株)灘工場西宮市浜町9-32明治27年(1894年)埼玉県上尾市で創業。灘工場は昭和41年(1966年)~昭和55年(1980年)まで稼働。平成9年(1887年)10月(株)文楽に。現在工場跡地はマンションになっている。生産は上尾に集約。
東鶴東鶴酒造(株)西宮市浜町10-11昭和32年(1957年)創業。跡地には震災前から酒店、薬局などの入る東鶴マーケットスクエアがある。
灘一松竹梅酒造(株)西宮市浜町13-10宝酒造(株)が清酒「松竹梅」ブランドを譲り受け、昭和8年(1933年)松竹梅酒造(株)設立。昭和22年(1947年)宝酒造より独立。このとき松竹梅ブランドは宝酒造に移る。
島美人北山酒造(株)西宮市宮前町8-3大正12年(1923年)小野市で創業。震災後工場の跡地は(株)ジャパン西宮戎店などに。事務所の建物あり。入口に酒林があった。製品は他蔵のOEMか?
甲陽鶴甲陽醸造(有)西宮市宮前町8-14昭和29年(1954年)創業。震災後はマンションと宮前酒造公園に。ブランドは沢の鶴が引き継いだもよう。
白魂伊豫酒造(株)西宮工場西宮市高畑町1-23のちの(株)はっこん酒造西宮醸造所、西宮市久保町4-24。大正5年(1916年)創業。灘に進出したのは昭和39年(1964年)。高畑町、久保町の蔵の跡地はマンションなどに。生産は愛媛に集約。
福徳長
灘譽
灘譽酒造(株)西宮工場西宮市坂本町101平成3年(1991年)より福徳長酒類(株)。西宮工場は住居表示実施で西宮市鷲林寺一丁目2-16に。現在は閉鎖。

魚崎郷

主な銘柄

蔵元(当時)

蔵元住所(当時)

備考

金紋道灌太田酒造(株)灘工場神戸市東灘区深江南町二丁目1-7明治7年(1874年)滋賀県草津市で創業。昭和37年(1962年)灘に進出。蔵元は太田道灌の子孫だとか。千代田蔵として操業中。駐車場、アパートなどもある。平成19年(2007年)12月は工場の中でニワトリが鳴いていた。会社は草津の本社以外に営業所もある。
東洋一東洋一酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町三丁目3-6昭和36年(1961年)創業。跡地には震災前よりマンションが建つ。
辰井栄一郎商店神戸市東灘区魚崎南町三丁目10-2明治41年(1908年)創業。2014年までファミリーマート魚崎三丁目の建物があった。
金正宗(株)松尾仁兵衛商店神戸市東灘区魚崎南町三丁目19-1元文5年(1740年)創業。震災後マンションが建つ。魚崎南町二丁目12-16に事務所があった。
櫻正宗山邑酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町四丁目2-25享保二年(1717年)大阪府池田市で創業。天保11年(1840年)六代目山邑太左右衛門が名水宮水を発見、灘に進出。平成4年(1992年)より櫻正宗(株)。本社は東灘区魚崎南町五丁目10-1に移転。旧本社は櫻正宗第二ビルなどに。
都菊肥塚酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町四丁目3-21安政元年(1854年)長崎で創業。明治になり堺から灘へ蔵を移す。震災直前は魚崎酒造の場所に入っていた。現在左記住所は剣菱酒造中蔵になっている。
福鶴福鶴酒造(有)神戸市東灘区魚崎南町四丁目4-6明治35年(1902年)創業。平成8年(1996年)1月(株)浜福鶴銘醸設立。震災後は「空蔵」ブランドも。平成25年(2013年)9月(株)小山本家酒造 灘浜福鶴蔵に社名変更。
花見盛辻井酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町四丁目4-13昭和39年(1964年)創業? 跡地は辻井酒造(株)と高野山木材工業の住宅兼事務所、辻井モータープール、(株)ジャパンビバレッジ。
酒豪豊澤酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町四丁目8-3昭和7年(1932年)創業。震災後、福寿酒造(株)と(株)神戸酒心館設立。跡地はマンションに。東灘区御影石町一丁目6-35の御影蔵は駐車場。
菊千歳菊千歳酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町四丁目9-3明治25年(1892年)創業。震災後はマンションに。
千緑魚崎酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町四丁目13-22寛文6年(1666年)創業。平成6年(1994年)廃業。跡地はすばるクリニック、福祉施設に。
金露金露酒造(株)神戸市東灘区魚崎南町五丁目5-47文化3年(1806年)堺市で創業。日露戦争後灘に進出。戦時中魚崎酒造と合併していたが昭和22年(1947年)独立。平成10年(1998年)4月倒産。現在はマンションが建つ。ブランドはキング醸造に譲渡。
大東一
惣代
田端酒造(株)灘工場神戸市東灘区魚崎南町五丁目5-27嘉永2年(1849年)和歌山で創業。昭和38年(1963年)灘に進出。平成19年(2007年)12月にはまだ工場建家があったがのちに住宅地になる。
松竹梅宝酒造(株)灘第二工場神戸市東灘区魚崎南町五丁目10-10天保13年(1842年)伏見で創業。大正14年(1925年)寳酒造(株)設立。魚崎の工場はのちに第一工場に。神戸市東灘区青木二丁目1-28が第二工場となる。灘地区の生産は青木の白壁蔵に集約。魚崎の工場跡地は震災後県営魚崎南高層住宅に。
国冠久星酒造(株)灘支店神戸市東灘区魚崎西町二丁目2-5天保3年(1832年)埼玉県川越市で創業。昭和59年(1984年)国冠酒造に。2000年11月跡地にマンションが建つ。
千歳鶴
灘松竹
日本清酒(株)灘支店神戸市東灘区魚崎西町二丁目3-48明治5年(1872年)北海道札幌市で創業。昭和3年(1928年)日本清酒(株)設立。左記住所は菊正宗関連施設を経てロイヤルホームセンターなどに。

御影郷

主な銘柄

蔵元(当時)

蔵元住所(当時)

備考

白鶴白鶴酒造(株)神戸市東灘区住吉南町四丁目5-5寛保3年(1743年)創業。多くの蔵や施設を持つが、石屋蔵は特別養護老人ホームなどになった。
菊正宗菊正宗酒造(株)神戸市東灘区御影本町一丁目7-15万治2年(1659年)創業。
世界長世界長酒造(株)神戸市東灘区御影本町二丁目6-28創業文政年間。戦時中の企業整備で3つの蔵が合併、興亜酒造(有)に。昭和31年(1956年)世界長酒造(株)に。震災後の平成7年(1995年)7月廃業。ブランドは沢の鶴が引き継ぐ。左記住所はデイリーカナートイズミヤ御影店に。近隣の世界長の土地はマンション、駐車場、ダイドードリンコ等に。
都美人都美人酒造(株)灘工場神戸市東灘区御影本町三丁目11-2昭和18年(1943年)淡路島の10軒の蔵が合併。のちに東灘区御影本町五丁目4-10に移転。現在は兵庫県南あわじ市榎列西川247で醸造。左記住所は剣菱酒造内蔵になっている。
剣菱剣菱酒造(株)神戸市東灘区御影本町三丁目12-5永正2年(1505年)ごろ伊丹で創業。江戸の人々にも愛された銘柄。大正時代、現在の蔵元がブランドを継承。昭和4年(1929年)灘に進出。魚崎にも蔵がある。
天長天長島村酒造(株)灘工場神戸市東灘区御影本町四丁目4-20和歌山で創業。灘工場は昭和32年(1957年)~平成4年(1992年)まで操業。跡地は兵庫県予防医学協会を経てスタジオ・アズ御影店に。
百万両
新泉
百万両新泉(株)神戸市東灘区御影本町七丁目6-8嘉永元年(1848年)創業。「百万両」の銘は、創業者の造った酒が金百万両にも値すると評判を呼んだことより。灘で百万両、堺で新泉を造っていた。平成3年(1991年)7月メルシャン(株)に合併される。工場は(株)ミノルサービスに。ブランドはメルシャンが引き継いだが、平成21年(2009年)現在製造されているかどうか不明。
瀧鯉木村酒造(株)神戸市東灘区御影石町一丁目1-5宝暦8年(1758年)創業。廃業し跡地ははマンションと老人福祉施設に。
正成小野楠酒造(株)神戸市東灘区御影石町一丁目1-12明治29年(1896年)創業。跡地は震災前より(株)小野楠事務所兼小野楠酒店と駐車場。
花川沢の井酒造(株)神戸市東灘区御影石町一丁目4-9昭和40年(1965年)、島根県の蔵が共同で灘に進出。社長は菊正宗の嘉納氏が兼任していた。跡地は震災後一戸建宅地に。東灘区住吉南町二丁目1-36の方は菊正宗精米工場に。
戎面坊垣醸造合名会社神戸市東灘区御影石町一丁目6-15戎面は「えびすかほ」と読む。大正6年(1917年)創業。平成19年(2007年)12月現在工場建家、屋上の「鳳凰戎面」の看板、表札はあり、事務所は残っている模様。敷地の一部は、震災後はミノルサービス御影物流センターの倉庫などになっている。
灘泉(有)泉勇之介商店神戸市東灘区御影塚町一丁目2-7明治15年(1882年)創業。木造の酒蔵があったが2014年には更地に。のちに戸建て住宅が建つ。
福寿福寿酒造(株)神戸市東灘区御影塚町一丁目8-17宝暦元年(1751年)創業。平成8年(1996年)5月、福寿酒造と豊沢酒造が出資し(株)神戸酒心館に。イベントホールもオープン。
泉正宗泉酒造(株)神戸市東灘区御影塚町一丁目9-6文化7年(1810年)創業。
大黒正宗(株)安福又四郎商店神戸市東灘区御影塚町三丁目4-40宝暦元年(1751年)創業。左記住所には平成19年(2007年)12月現在パチンコ店が、北隣の跡地にはマンションが建つ。蔵は2013年まで向かいの東灘区御影塚町一丁目5-4にあった。現在は白鶴の蔵を借りて醸造。

西郷

主な銘柄

蔵元(当時)

蔵元住所(当時)

備考

菊川菊川(株)灘工場神戸市灘区浜田町一丁目2-10元禄年間岐阜県で創業。灘工場は昭和32年(1957年)~平成10年(1998年)。跡地は平成13年(2001年)2月にマンションに。生産は岐阜県各務原市に集約。
栄泉栄泉酒造(株)灘工場神戸市灘区新在家南町二丁目3-5昭和37年(1962年)創業。跡地は宅地に。1980年代に兵庫県加古郡稲美町印南1977(現在のキング醸造錦工場内)に戻ったか。
月桂冠大倉酒造(株)灘支店神戸市灘区新在家南町三丁目1-8寛永14年(1637年)伏見で創業。灘には明治32年(1899年)進出。昭和62年(1987年)月桂冠(株)に。平成15年(2003年)灘から撤退。跡地はホームセンターコーナンPRO新在家店とスーパー ラ・ムー神戸店に。
光鶴岸本酒造(株)神戸市灘区新在家南町三丁目2-1昭和30年(1955年)創業。昭和62年(1987年)ごろより中央区に商事部が存在。醸造はこのころまでか。蔵の敷地は旧富久娘酒造の一部になっている。
菊華菊華酒造(株)神戸市灘区新在家南町三丁目2-5昭和26年(1951年)創業? 蔵の敷地は旧富久娘酒造の一部に。
富久娘富久娘酒造(株)神戸市灘区新在家南町三丁目2-28天和元年(1681年)創業。現オエノンプロダクトサポート(株)
忠勇忠勇(株)神戸市灘区新在家南町四丁目1-1享保年間創業。平成12年(2000年)4月合併によりマルキン忠勇(株)。平成18年(2006年)2月持株会社制でジャパン・フード&リカー・アライアンス(株)に。忠勇ブランドの清酒は白鶴酒造が、奈良漬は盛田(株)が製造。左記住所のかつての蔵は白鶴大石工場を経て関西国際学園神戸校などに。
福徳長
灘譽
灘譽酒造(株)神戸市灘区新在家南町四丁目8-1寛政4年(1792年)創業。平成3年(1991年)より福徳長酒類(株)。左記住所には2019年ごろまで、合同酒精・福徳長酒類・富久娘酒造・山信商事のオエノングループ社屋が建っていた。
澤之鶴沢の鶴(株)神戸市灘区新在家南町五丁目1-2享保2年(1717年)創業。
金盃金盃酒造(株)神戸市灘区大石東町六丁目3-1明治23年(1890年)創業。跡地にはマンションが建った。金盃第1ビルあり。タウンページに記載あり。
富久錦富久錦(株)灘支店神戸市灘区大石南町一丁目4-24天保10年(1839年)創業。平成2年(1990年)ごろ(?)創業の地加西市に戻る。跡地は震災前よりKFCビル、沢の鶴大石倉庫などに。
本桜本櫻酒造(株)神戸市灘区大石南町二丁目3-5天保3年(1832年)創業。跡地は震災前より本桜(株)事務所兼酒店、本桜倉庫、駐車場に。

参考文献

  • 『会社年鑑 1970年版』昭和44年11月15日 日本経済新聞社
  • 『兵庫県工場名鑑 1974年版(昭和49、50年版)』昭和48年12月1日 兵庫県商工会議所連合会
  • 『兵庫県工場名鑑 平成4、5年版(1992-1993)』兵庫県商工会議所連合会
  • 『日本の名酒事典』1990年4月26日 講談社
  • 『生一本 灘五郷――人と酒と』昭和57年11月10日 神戸新聞社会部
  • 『灘の酒』中尾進彦著 昭和54年7月1日 神戸新聞出版センター
  • 『大阪の酒造業 ―その由来と変還―』昭和34年6月10日 和源酒造有限会社
  • 「灘の酒 転廃業相次ぐ」の記事。1997年1月10日 日本経済新聞朝刊より

2005年2月21日:島美人、國冠、菊千歳追加。2007年12月23日:白鹿、瀧鯉差し替え。白鹿、千緑、富久娘、蔵元一覧追加。2008年4月18日:甲陽鶴、忠勇追加。2010年11月6日一部修正。2020年1月5日:福徳長、富久娘差し替え。2024年10月26日:和源、酒豪、自販機など追加。

(2024年11月4日更新)