酒1 灘五郷
今津郷、西宮郷(西宮市)
酒の司 大関 樽詰 壜詰
撮影:2001年10月
兵庫県西宮市今津出在家町4番9号、大関(株)
正徳元年(1711年)創業。当時の酒銘は「万両」。明治22年(1889年)より、当時の大相撲の最高位である「大関」の銘を用いています。昭和39年(1964年)、カップ酒第1号である「ワンカップ大関」発売。創業者大坂屋長兵衛の名を冠した吟醸酒も発売。
灘銘酒 日本盛 樽詰 壜詰
撮影:2001年10月
兵庫県西宮市用海町4番57号、日本盛(株)
明治22年(1889年)、西宮企業会社として設立。「日本盛」は創業時地元の蔵より譲り受けたとか。明治29年(1896年)西宮酒造(株)、平成12年(2000年)現社名に。明治43年(1910年)には酒造高日本一にもなりました。化粧品も好評です。
銘酒 白鹿 辰馬醸
撮影:2001年10月/撮影:2006年4月
兵庫県西宮市建石町2番10号、辰馬本家酒造(株)
寛文2年(1662年)創業。大正6年(1917年)設立。「白鹿」の銘は「鹿寿千年にして白鹿となる」という中国の言い伝えによるとか。大正9年(1920年)、辰馬家が出資し甲陽学院が設立されています。
2枚の看板はマークが微妙に違いますが、ほぼ同じものと考えて良いでしょう。
高級清酒 島美人
撮影:2002年6月
兵庫県西宮市宮前町8番3号、北山酒造(株)
大正8年(1919年)兵庫県小野市粟生町島にて創業。「島美人」の銘は創業地に由来します。
現在蔵の跡地は店舗と北山酒造の事務所に。製品は平成30年(2018年)現在でも販売されています。
灘の生一本 甲陽鶴 灘 西宮 甲陽醸造
撮影:2008年1月
兵庫県西宮市宮前町8番14号にあった甲陽醸造(有)の看板。
昭和29年(1954年)創業。阪神・淡路大震災後廃業。ブランドは沢の鶴が引き継いだといことでしたが、2022年現在、製品は出てないような。
魚崎郷(神戸市)
灘の生一本 國冠
撮影:2004年2月
兵庫県神戸市東灘区魚崎西町二丁目2-5にあった国冠酒造(株)の看板。
天保3年(1832年)、埼玉県川越市で創業。大正5年(1916年)灘に進出。大正8年(1919年)株式会社設立、久星酒造(株)に。戦前は埼玉と灘の両方で製造していましたが、昭和28年(1953年)灘に集約。昭和59年(1984年)国冠酒造に社名変更。酒銘は日本酒の正統派という意味だそうです。
平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災で蔵が倒壊、跡地には、外壁や舗道の一部に瓦が使われるなど、酒蔵地帯の景観を考慮したマンションが建ちました。
灘の生一本 清酒 きくちとせ 此のつの樽は日本の江戸時代からのご祝儀用酒器です
撮影:2003年5月
拡大画像(42KB)
兵庫県神戸市東灘区魚崎南町四丁目9-3にあった菊千歳酒造(株)の看板。
明治25年(1892年)創業ですが、震災後、蔵の跡地には賃貸マンションが建ちました。社名で検索すると兵庫県神戸市兵庫区五宮町19番9-202号がヒットします。不動産管理会社として残っているのでしょうか。
清酒 千緑 センリョク 灘・魚崎 魚崎酒造醸
撮影:2007年3月
拡大画像(36KB)
兵庫県神戸市東灘区魚崎南町四丁目13-22にあった魚崎酒造(株)の看板
寛文6年(1666年)創業。戦中の企業整備で他蔵と合併、魚崎酒造となります。当時は戦力という軍用酒を造っていたとか。昭和22年(1947年)銘柄を「千緑」に変更。これは永遠の平和と繁栄を表すとのことです。昭和51年(昭和51年)~56年(1981年)「タイガース」銘柄もあり。
『灘の酒』によると、灘には珍しい、桶買い(原酒買い)をしていない蔵であったとのことですが、平成6年(1994年)廃業のようです。
御影郷(神戸市)
清酒 菊正宗 株式会社 本嘉納商店 吟醸
撮影:2003年2月/2002年6月/2003年7月
3枚まとめて菊正宗
兵庫県神戸市東灘区御影本町一丁目7-15、菊正宗酒造(株)
万治2年(1659年)、回船問屋などを営んでいた生魚屋(うおや)治郎大夫宗徳が酒造業を創業。「菊正宗」の銘は明治19年(1886年)の登録と言われています。当主が庭の白菊を見て名付けたものだとか。大正8年(1919年)11月設立。
銘酒 ハクツル 灘 白鶴酒造醸 特約店 撮影:2009年8月
清酒 ハクツル 神戸・灘 白鶴酒造醸 撮影:2001年10月
兵庫県神戸市東灘区住吉南町四丁目5-5、白鶴酒造(株)
寛保3年(1743年)、菊正宗創始者の二代あとの材木屋治兵衛長好は、家督を長男に譲り六男をつれて分家。こちらも酒造業を始めます。これが白鶴酒造の祖となります。「白鶴」の酒銘は延享4年(1747年)より。キクマサの本嘉納に対し、こちらは白嘉納と呼ばれました。「白鶴」の商標登録は明治18年(1885年)に行われています。昭和2年(1927年)8月会社設立。
両嘉納家と櫻正宗の山邑家の出資で昭和2年(1927年)、灘中学・高校が設立されています。初代顧問は一族の嘉納治五郎氏(講道館館長)でした。
灘の生一本 大黒正宗 安福醸 撮影:2001年10月
灘の生一本 大黒正宗 安福醸 撮影:2002年2月
兵庫県神戸市東灘区御影塚町一丁目5-23、(株)安福又四郎商店
宝暦元年(1751年)創業。水戸藩の御用達もつとめました。「大黒正宗」の銘は、大正2年(1913年)山田無文師により名づけられています。昭和24年(1949年)株式会社設立。
安福又四郎商店は大手ではありませんが、地方の酒屋にも「大黒正宗」の看板が掲がり、専用の自動販売機が置かれていることからも、熱心に販売促進をされていたことがうかがえます。
しかし震災で木造の蔵10棟が全壊。酒造は大打撃を受けました。その後大量生産を断念、酒造量を震災前の1割にまで落とし、品質重視の手作りの酒に方針を転換しました。蔵の入り口には「神戸の地酒 大黒正宗」の看板が掛かっています。
ブランドマークの大黒様。
清酒 瀧鯉 灘御影 木村醸
撮影:2002年4月
兵庫県神戸市東灘区御影石町一丁目1-5、木村酒造(株)
宝暦8年(1758年)創業。NHKの朝ドラ「甘辛しゃん」のロケがここの蔵で行われました。酒銘は、瀧を登った鯉は龍になれるという「登龍門」の故事に由来するものです。震災後しばらくは酒造されていましたが、おそらく2000年代後半に廃業。跡地はマンションと老人福祉施設になりました。ブランドは櫻正宗が引き継いだようです。
西郷(神戸市)
灘の生一本 ※澤之鶴
撮影:2003年4月
拡大画像(85KB)
兵庫県神戸市灘区新在家南町五丁目1番2号、沢の鶴(株)
享保2年(1717年)創業。酒銘は、丹頂鶴がくわえてきた稲穂で酒を造り天照大神に供えたという伊雑宮の縁起にちなむとか。商標登録は明治18年(1885年)。「昔の酒蔵」沢の鶴資料館もあります。
灘の清酒 金盃
撮影:2003年2月
拡大画像(58KB)
兵庫県神戸市灘区大石東町六丁目3-1、金盃酒造(株)
明治23年(1890年)、淡路島で酒造業を営んでいた高田三郎が、神戸の三宮に販売店である本高田商店を開業。灘への進出は大正5年(1916年)。商標登録は昭和3年(1928年)。
金盃とは中国で皇帝より賜わる最も権威あるものでした。現在、蔵の跡地にはマンションと貸ビルが建っていますが、製品は販売されていますね。ビルに本社が入っているんですか。
灘清酒 福徳長
撮影:2019年11月
千葉県松戸市上本郷字仲原250、福徳長酒類(株)
寛政4年(1792年)創業。もとは大阪府堺市堺区石津北町にありました。昭和42年(1967年)灘誉酒造(株)(昭和38年(1963年)設立)が福徳長酒造(株)を合併。平成3年(1991年)、昭和28年(1953年)森永製菓より分離設立された森永醸造(株)が灘誉酒造を合併、福徳長酒類(株)と改称。平成13年(2001年)合同酒精(株)の傘下に。
合同酒精は平成15年(2003年)7月、持株会社オエノンホールディングス(株)に移行。
酒銘は、中国の古文経より得た「福徳円満ナレバ長寿無量ナリ」に由来すると言われます。寛政年間、将軍にも献上されたという伝統の酒。かつては神戸市灘区新在家南町四丁目8-1に蔵がありました。西宮市鷲林寺一丁目2-16にあった灘工場は閉鎖。近年はグループの意向で焼酎の生産も手がけています。
(右)1990年代、森永醸造時代の自動販売機。エンゼルマークが見られます。エンゼルが振り向きざまにカップ酒をグビッなんて不似合いな気がしますが……。
清酒 富久娘 摂津灘 花木本家醸造
撮影:2019年11月
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清酒 富久娘 灘 花木酒造醸
撮影:2006年4月
東京都中央区銀座六丁目2-10、富久娘酒造(株)
兵庫県神戸市灘区新在家南町三丁目2-28、富久娘酒造(株)灘工場
天和元年(1681年)創業。昭和26年(1951年)花木酒造(株)に改組。昭和38年(1963年)富久娘酒造(株)になり東洋醸造(株)の傘下に入りますが、平成4年(1992年)旭化成(株)が東洋醸造を合併。以来旭化成の子会社として酒造業を担当していました。
平成15年(2003年)7月、旭化成の酒類事業からの撤退により、福徳長同様、オエノンホールディングスのグループ会社になりました。現在はグループの灘における生産拠点で、「福徳長」なども生産しています。「富久娘」の銘は、蔵元の信仰していた亀戸天神社の縁起物のお多福面より。
清酒 忠勇 灘若林醸
撮影:2008年4月
小型の吊り下げ看板です。拡大画像(79KB)
兵庫県神戸市東灘区住吉南町四丁目5-5、白鶴酒造(株)
愛知県名古屋市中区栄一丁目7番34号、盛田(株)
旧忠勇(株)は享保年間の創業。明治29年(1896年)若林合名会社設立。ブランドの「忠勇」はこのとき誕生しました。昭和19年(1944年)株式会社設立。昭和41年(1966年)忠勇(株)に社名変更。看板はこのころまでのものでしょう。昭和51年(1976年)、清酒忠勇の商標権を白鶴酒造に譲渡。
平成12年(2000年)4月合併によりマルキン忠勇(株)、平成18年(2006年)2月持株会社制でジャパン・フード&リカー・アライアンス(株)に。製造部門を新・マルキン忠勇(株)とします。平成25年(2013年)4月1日、グループ再編によりマルキン忠勇はグループ内の盛田(株)に合併されました。
戦後は忠勇ブランドの奈良漬も有名になりました。マルキンと合併後も操業していた神戸市灘区新在家南町五丁目6-1の奈良漬工場はなくなり、生産は徳島県名西郡石井町浦庄字国実247番地2の忠勇(株)(盛田の子会社)に集約されたようですね。
(下)現在の白鶴大石工場屋上に残されている看板。琺瑯と同じロゴが見えます(2007年12月撮影)。かつてこの場所に忠勇(株)がありました。
灘五郷とは兵庫県西宮市から神戸市東部にかけての海岸沿い、今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷のこと。名水「宮水」の発見以来、日本屈指の酒蔵地帯になりました。