機械4 川西系
アキツ発動機
撮影:2003年4月
10×45cmの小さな看板。
兵庫県宝塚市新明和町1番1号、新明和工業(株)
新明和工業は戦前の川西航空機(株)の流れをくむメーカーです。まずは川西航空機について。
大正9年(1920年)2月、川西機械製作所設立。川西機械は織物機械の修理工場として、ニッケ創業者二代目川西清兵衛氏により設立されました。社長は清兵衛氏の次男龍三(りょうぞう)氏。飛行機部を設置し航空機の研究も始めました。
大正12年(1923年)、輸送部門を日本航空(株)として独立させます。
昭和3年(1928年)4月、航空機部門独立。川西航空機(株)設立。昭和5年(1930年)末には、本社と工場を神戸から現在の西宮市鳴尾に移転。紫電改戦闘機、二式大艇(飛行艇)など、多くの飛行機を製造しました。
終戦間近になると、各工場は他の軍需工場同様、米軍の空爆を受けることになります。姫路でも昭和20年(1945年)6月22日 姫路製作所が空襲に遭い、工場関係74名を含む死者340名以上の犠牲を出すことになりました。当時姫路に来られていた社長は防空壕に逃れ助かったのだとか。
戦後は民需に転換、明和興業(株)と改称。宝塚工場開発のポインター号(オートバイ)、福知山工場開発のアキツ農用発動機やオート三輪、その他ダンプや自吸式ポンプなどを生産。昭和24年(1949年)11月、企業再建整備法により新明和興業(株)設立。
昭和30年(1955年)ごろより航空機関連の業務も入り始め、のちに救難飛行艇などを開発。
昭和35年(1960年)11月、新明和工業(株)に改称。昭和37年(1962年)2月、日立からの応援を得ることになります(現在はグループから外れています)。現在は立体駐車場や環境システム(ゴミ処理)分野にも進出しています。
母体の川西機械は、昭和20年(1945年)12月衝器部門が独立、大和製衝(株)設立。昭和24年(1949年)8月、(株)川西機械製作所の第二会社として神戸工業(株)が設立。神戸工業は昭和43年(1968年)富士通(株)と合併。昭和47年(1972年)ラジオ部門を富士通(株)より分離、富士通テン(株)が設立されています(平成29年(2017年)11月より(株)デンソーテン)。
さて、アキツといえばオート三輪のアキツ号ですが、こちらは明和興業(株)が昭和21年(1946年)末に市場参入。企業再建整備法により昭和24年(1949年)設立された明和自動車工業(株)(西宮市鳴尾)が事業を引き継ぎましたが、同社の営業不振により昭和30年(1955年)、ダイハツ下請けの旭工業(株)として新発足。
アキツ号は旭工業になってもしばらくは発売されていましたが、ダイハツのミゼット開発に伴い生産されなくなりました。旭工業(株)は昭和45年(1970年)11月、ダイハツ工業(株)に合併されています。
参考文献
- 『海鳴りやまず 神戸近代史の主役たち』第二部:昭和53年6月10日 第三部:昭和54年6月20日 第四部:昭和54年12月15日 神戸新聞社
- 『雄県兵庫』昭和28年10月20日 1958年3月20日(昭和33年) 神戸新聞社
- 『日本のオートバイの歴史』富塚清著 2001年3月10日 三樹書房
- 『懐旧のオート三輪車史』GP企画センター 2000年2月10日 株式会社グランプリ出版
- 『姫路空爆の記録』姫路空襲を語りつぐ会編 1973年6月15日 姫路地方文化団体連合協議会発行