路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
お散歩 Photo Album

 
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石鹸・化粧品

石鹸

資生堂石鹸 資生堂石鹸

資生堂石鹸 販賣店
撮影:2002年2月 拡大画像(29KB)

資生堂石鹸
撮影:2006年3月

東京都港区東新橋一丁目6番2号 汐留タワー(本社)、東京都中央区銀座七丁目5番5号(本店)、(株)資生堂
明治5年(1872年)、福原有信氏により資生堂薬局として創業。大正10年(1921年)3月、合資会社に改組。昭和2年(1927年)6月、(株)資生堂に。現在では、知らない人はまずいないのではないかと思われる化粧品メーカーの最大手です。

資生堂石鹸

資生堂石鹸
撮影:2005年1月

資生堂石鹸は大正10年(1921年)ごろ発売。このブランドマークは「花椿」といいます。昭和4年(1915年)より使われているとか。

花王シャンプー

髪洗ひ 花王シャンプー
撮影:2002年8月

東京都中央区日本橋茅場町一丁目14番10号、花王(株)
明治20年(1887年)、長瀬商店として創業。大正14年(1925年)、花王石鹸(株)長瀬商会設立。社名が花王になったのは戦後のこと。

ニッサン石鹸 ニッサン石鹸

化粧用 洗濯用 ニッサン石鹸 大販売店
撮影:2007年9月

ニッサン石鹸 日本油脂
撮影:2001年12月

東京都中央区新川一丁目24-1 DAIHO ANNEX 4F、NSファーファ・ジャパン(株)

ニッサン石鹸は日本油脂(株)より昭和12年(1937年)発売。昭和49年(1974年)、日本油脂、シスター石鹸、第一油脂工業が共同でニッサン石鹸(株)設立。平成23年(2011年)9月現社名に変更。
洗剤類は百均でも見かけます。かつては大阪府大阪市鶴見区横堤二丁目5-106に本社工場がありました。

ミツワ石鹸

ミツワ石鹸
撮影:2006年3月

旧ミツワ石鹸(株)は万延元年(1860年)丸見屋として創業。昭和39年(1964年)ミツワ石鹸(株)に社名変更。昭和50年(1975年)倒産。ミツワ石鹸は明治43年(1910年)より発売されていました。薬用石鹸のミューズも当初はミツワ石鹸(株)のブランドでした。

平成20年(2008年)4月、玉の肌石鹸(株)が新・ミツワ石鹸(株)設立。新会社の設立時期は、玉の肌石鹸がミツワ石鹸の商標権を取得した平成19年(2007年)5月になっているようです。ブランドマークの三つの輪も30年ぶりによみがえりました。住所は東京都墨田区緑三丁目8番12号。

ニッカ石鹸

ニッカ石鹸 日華油脂
撮影:2003年11月

日華油脂(株)は大正6年(1917年)日華製油(株)として設立。中国産の大豆を原料にした油の製造を始めます。昭和17年(1942年)日華油脂と改称。現在は味の素製油、ホーネン、吉原製油が統合した(株)J-オイルミルズグループの企業です。昭和33年(1958年)日華油脂の加工部がニッカ石鹸として独立していますので、その頃までの看板でしょう。

第一石鹸の沿革によると、昭和40年(1965年)8月に、第一石鹸が日華石鹸の九州工場を買収したとあります。会社を丸ごと買収したのではなさそうですが、ニッカのブランドはなくなったのでしょうか。
日華油脂の本社は神戸市中央区にありました。

扇櫻石鹸

扇櫻石鹸 特約販売店
撮影:2004年10月

歯磨

資生堂パール歯磨

資生堂パール歯磨
撮影:2002年8月

このページ上から二段目の「資生堂石鹸」の裏側。店のご主人が、しまってあった看板をまた取り付けられたそうな。昔の看板なのにおしゃれ。さすが資生堂。

仁丹歯磨町名標示(上久保町) 仁丹歯磨町名標示(東住吉区平野三十歩町二丁目) 仁丹歯磨町名標示(上京町)

上久保町 仁丹歯磨
撮影:2003年11月 奈良県奈良市
大阪府大阪市中央区玉造一丁目2番40号、森下仁丹(株)
新しいコンクリート電柱にわざわざ取り付けられていました。大切にしてもらっているようですね。

東住吉区 平野三十歩町二丁目 仁丹歯磨
撮影:2004年11月 大阪府大阪市平野区
東住吉区が誕生した昭和18年(1943年)4月から、平野区が誕生した昭和49年(1974年)7月までの標示板。

仁丹歯磨 上京町
撮影:2007年1月 滋賀県大津市
仁丹歯磨は大正12年(1923年)発売ですが、看板はもう少し新しいようです。

仁丹歯磨マーク(黒2) 仁丹歯磨マーク(黒1) 仁丹歯磨マーク(赤) 仁丹歯磨マーク(上京町)

仁丹マーク(京都市上京区)

仁丹歯磨イケメン対決。多分3番目が優勝。
5枚目の青版は京都市内の町名標示。同じ京都のものでも、帽子の飾りや勲章が微妙に違うんです。

撮影:左から、2003年11月(仁丹赤字)/2003年11月(仁丹赤字)
2004年10月(仁丹黒字)/2007年1月(仁丹黒字)/2005年1月(青)

ハミガキ

煉と粉 ?ハミガキ 特約店?
撮影:2006年3月

化粧品

ウテナクリーム ウテナクリーム

色白くなる ウテナクリーム(下に「わかもと」があります)
撮影:2001年10月

ノビツキ一等 ウテナ水白粉
撮影:2010年11月

東京都世田谷区南烏山一丁目10-22、(株)ウテナ
昭和2年(1927年)久保政吉商店として創業。昭和12年株式会社に。昭和25年(1950年)より現社名。公式サイトに「ウテナ」の由来が載っていてなるほどと思いました。ウテナクリーム、ウテナ水白粉とも昭和4年(1929年)発売。

御園白粉

御料 御園白粉(みそのおしろい)
撮影:2004年9月

明治33年(1900年)、長谷部仲彦氏が、純無鉛の使用に耐えられるおしろいを発明し発売。明治37年(1904年)、長谷部氏と伊東栄氏が東京・芝で胡蝶園創業、御園白粉を製造、ミツワ石鹸の丸見屋が販売しました。大正14年(1925年)より伊東胡蝶園(明治42年商号変更)が販売も行うことになります。

昭和23年(1948年)(株)パピリオに改称。昭和49年(1974年)、帝人がパピリオ買収、(株)帝人パピリオ設立。昭和62年(1987年)、帝人パピリオがアサヒペンに売却されます。平成2年(1990年)(株)ツムラがアサヒペンからパピリオ買収、ツムラ化粧品(株)設立。しかし平成9年(1997年)ツムラ化粧品清算。平成16年(2004年)、昭和22年(1947年)創業のピアス(株)がパピリオ(株)設立、現在に至る……(ややこしい)。
「御料」は、明治33年の大正天皇ご成婚の際献上されたことにちなむそうです。

レートメリー

肌なめらかに 白くなる レートメリー(下に「わかもと」があります)
撮影:2001年11月

レートメリーは大正7年(1918年)、平尾賛平商店より発売。平尾賛平商店は明治11年(1878年)、東京で創業。昭和24年(1949年)レートに改称。戦前は「東のレート、西のクラブ」と言われ、化粧品メーカーの2トップでしたが、空襲で工場が焼失。昭和29年(1954年)会社更生法申請。音楽家故平尾昌晃氏のご実家でした。

ゲオール化粧品

ゲオール化粧品
撮影:2002年10月

大阪府大阪市中央区農人橋三丁目1-14、ゲオール化学(株)
昭和32年(1957年)岡村源太郎氏により会社設立。デパート等の店舗販売ではなく、代理店での取り扱いや通販で基礎化粧品などを販売しているメーカーのようです。
この看板ですが、下半分にシールが貼られてちょっと気の毒。レタッチで元の姿を復元してみました(34KB)。ご参考までに。

ヘア化粧品

加美乃素

加美乃素
撮影:2009年4月

一文字看板のため、4文字そろっているのは少なくなってしまいました。

加美乃素

素晴らしい養毛・毛生剤 加美乃素
撮影:2005年2月

兵庫県神戸市中央区熊内橋通三丁目3番25号、(株)加美乃素本舗
明治41年(1908年)8月創業。昭和28年(1953年)11月株式会社に。「加美乃素」は昭和7年(1932年)発売。
こちらは一枚物。押さえていないと落ちます。

丹頂チック

丹頂チック TANCHO CAIN
撮影:2002年5月
拡大画像(50KB)

大阪府大阪市中央区十二軒町5番12号、(株)マンダム
昭和2年(1927年)金鶴香水(株)設立。昭和34年(1959年)丹頂(株)に、昭和46年(1971年)(株)マンダムに改称。チャールズ・ブロンソン出演のCMもありました。「金鶴」はもともと大阪の大崎組が明治20年(1887年)輸入販売した香水のブランドでしたが、大崎組が大正14年倒産、マンダムはこの事業を引き継いだ形で創業しました。

丹頂チックは昭和8年(1933年)発売。「チック」はコスメチック(cosmetic)のことで、コスメチックには化粧品全般の意味と、脂肪に香料を混ぜた整髪料の意味があります。

シボレー ポマード ヘヤートニック

シボレー ポマード ヘヤートニック
撮影:2003年3月
拡大画像(42KB)

シボレー(株)は昭和4年(1929年)若葉ポマード本舗として創業。シボレーポマード本舗、シボレーポマード、シボレーと社名変更しました。平成13年(2001年)民事再生法を申請。

全国工場通覧 1960年版』によると、琺瑯の時代はシボレーポマード(株)、住所は大阪市大淀区(現北区)浦江北1-5でした。のちに東大阪市に移転したようです。

井筒明花香油

はかり 香油 井筒 明花 香油 特約店
撮影:2003年7月 拡大画像(29KB)

香油は髪や体につける香りのいいオイルですが、井筒香油のはじまりは、江戸時代、現在の東京都中央区日本橋堀留町二丁目に店を構えた、井筒屋の売り出した髪油と思われます。井筒屋は近江出身で京都、盛岡、江戸に進出。両替商や油問屋などを営んでいた豪商で、小野組として明治新政府への資金協力や、第一国立銀行の設立にも一役買いましたが、明治7年(1874年)経営破綻。

日本橋街並み商業史』によると、明治10年、番頭さんが井筒屋香油店を再興しますが、明治17年(1884年)閉店。ブランドは堺町の金原巳三郎「井筒屋香油店」に引き継がれたとのことです。

昭和初め~36年は(株)井筒屋商店、昭和37年より井筒として髪油やポマードなどを販売していました。会社がどうなったのかはわかりませんが、ブランドの「井筒」は昭和54年(1979年)より、明治27年(1894年)安藤井筒堂として創業したオリヂナル(株)が引き継いでいます。同社の住所は東京都江東区毛利二丁目1-2。

初姿
初姿

白毛染(初)姿
撮影:2004年4月

初姿 撮影:2002年7月
倉庫の庇になっていました。右から「みやこ染」の「こ(古)」が覗く。

東京都中央区日本橋小舟町14-7、桂屋ファイングッズ(株)
会社詳細は日用品の「みやこ染」の項へ。
本物の初姿パッケージ

元禄

し(志)らが染 元禄
撮影:2013年5月
拡大画像(45KB) 

愛知県名古屋市東区徳川一丁目501番地、ホーユー(株)
明治38年(1905年)水野甘苦堂として創業。大正12年(1923年)(株)朋友商会設立。昭和39年(1964年)ホーユー(株)に社名変更。ビゲンヘアカラーなどでおなじみのメーカーです。「元禄」は大正10年(1921年)の発売で、新聞広告は戦前よりあります。琺瑯看板というよりポスターのようですね。

参考文献

  • 『会社年鑑≪上場会社版≫ 2004年版』2003年10月24日 日本経済新聞社
  • 『全国工場通覧 1960年版』昭和34年11月10日 通商産業省編 日刊工業新聞社
  • 『業界50年の歩み』1998年(平成10年)7月20日 (株)石鹸新報社
  • 『化粧ものがたり』高橋雅夫著 1997年5月20日 雄山閣出版(株)
  • 『日本橋街並み商業史』白石孝著 1999年10月30日 慶應義塾大学出版会(株)

2010年3月31日:加美乃素、仁丹歯磨1枚差し替え。資生堂石鹸、ニッサン石鹸大販売店、ミツワ石鹸追加。2010年12月19日:ウテナ水白粉追加。2013年5月20日:元禄差し替え。2020年1月5日:仁丹歯磨イケメン対決追加。2022年8月26日:画像差し替えあり。

(2022年10月21日更新)