路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた
お散歩 Photo Album

 
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自転車1

丸石の自転車
丸石の自転車
丸石の自転車

丸石の自転車
撮影:2002年4月/2003年11月/2004年11月

東京都千代田区鍛冶町一丁目10-4にあった丸石自転車(株)の看板
明治27年(1894年)、自転車輸入業の石川商会として創業。明治42年(1909年)3月合資会社、大正7年(1918年)6月株式会社に改組。昭和36年(1961年)2月より丸石自転車(株)。

平成16年(2004年)9月増資問題を機に倒産。自転車事業は同年9月1日より、昭和48年(1973年)設立の滋賀丸石自転車工業(株)が引き継ぎました。同社は平成17年(株)丸石サイクルと社名変更、本社は埼玉県吉川市中野311-1に移転。

平成18年(2006年)11月1日より、丸石サイクルの自転車事業は、現在は中国企業の子会社で、昭和47年(1972年)設立の福島丸石自転車工業(株)に譲渡されることになりました。旧丸石サイクルは同日、(株)ペンタくんに社名変更しています。
福島丸石自転車工業(株)は(株)丸石サイクルに社名変更。住所は埼玉県吉川市大字小松川684-1。

ブリヂストン自転車

ブリヂストン自転車
撮影:2001年11月

埼玉県上尾市中妻三丁目1-1、ブリヂストンサイクル(株)

BSサイクルローン取扱店
BSサイクルローン取扱店

BSサイクルローン取扱店
撮影:2002年9月
同じ看板の両面です。

埼玉県上尾市中妻三丁目1-1、ブリヂストンサイクル(株)

ブリヂストンサイクル(株)は、昭和24年(1949年)10月、ブリヂストン自転車(株)として、ブリヂストンタイヤより分離され設立。昭和35年(1960年)ブリヂストンサイクル工業(株)に、昭和51年(1976年)現社名に変更。

自転車はナショナル

自転車はナショナル
撮影:2002年10月

大阪府柏原市片山町13番13号、パナソニックサイクルテック(株)
昭和27年(1952年)、ナショナル自転車工業(株)として創業。平成18年(2006年)7月現社名に変更。

ナショナル自転車(合成樹脂)

ナショナル自転車 月販取扱店 ナショナル自転車 月賦販売店

おまけ看板

ナショナル自転車 撮影:2009年3月
合成樹脂看板。バックにNの文字が入るナショナルのマークは、昭和34年(1959年)~昭和48年(1973年)まで。

ナショナル自転車 月販取扱店10回分割大歓迎 撮影:2004年10月
何カ所かで見かけた看板。琺瑯ではなさそうですが結構丈夫ですね。10回分割ということは、自転車1台は1か月の給料では買いにくかったということでしょうね。

ナショナル自転車 月賦販売店 撮影:2009年3月
車輪に乗るナショナル坊やがいます。左の看板よりは新しいか?
ナショナル自転車 車輪に乗るナショナル坊や

ツノダの自転車

T.U ツノダの自転車
撮影:2002年5月

大阪府大阪市中央区今橋四丁目1-1 淀屋橋三井ビルディング地主株式会社内、(株)ツノダ
大正15年(1926年)1月、ツノダ商店として創業。昭和13年(1938年)4月、株式会社に改組。平成4年(1992年)7月より(株)ツノダ。かつては愛知県小牧市に本社がありました。

令和3年(2021年)5月31日、当時の日本商業開発(株)のちの地主(株)が全株式を取得。現在は不動産業者のようです。

3.3.3.号自転車

3.3.3.号自転車 撮影:2002年6月

大阪府堺市堺区老松町三丁77番地にある(株)シマノの看板でしょうか。
シマノは大正10年(1921年)島野庄三郎氏により島野鉄工所として創業。昭和15年(1940年)株式会社に改組。昭和26年(1951年)島野工業(株)、平成3年(1991年)より現社名に。

「3.3.3.」は元々はフリーホイルのブランドでした。大正13年(1924年)~昭和47年(1972年)まで、3本の矛と、創業者の名前にちなむ「三」をモチーフにしたトレードマークがありました。シマノ工業の社史によると、完成車の製造は昭和21年(1946年)~29年(1954年)までとなっています。

昭和20年代の出版物に、島野工業の3.3.3号自転車の広告がありますが、『堺商工名鑑 昭和34年度版』には、同ブランドの、堺市高須町二丁27の3.3.3自転車(株)の広告が載っています。両者の関係はわかりません。

ツバメ自転車
ツバメ号自転車

ツバメ自転車 撮影:2002年3月
軒下が似合うツバメの看板。左端のツバメマークは、地の色が赤です。

拡大画像(110KB)

新家工業株式會社特製 ツバメ号自転車 撮影:2010年5月 

拡大画像(17KB)

大阪府大阪市中央区南船場二丁目12-12、新家工業(株)
明治36年(1903年)、新家熊吉氏が木製リムを製造。大正8年(1919年)、新家自転車製造(株)設立。昭和12年(1937年)新家工業(株)に社名変更。ツバメ号は昭和21年(1946年)より製造されています。輸出用リムの95%は新家の製品とか。

ヒドリ自転車
ヒドリ自転車
ミドリ自転車

ヒドリ自転車 撮影:2003年3月 拡大画像(45KB)

ヒドリ自転車 撮影:2002年4月 拡大画像(51KB)

ミドリ号自転車 撮影:2009年3月

大正9年(1920年)創業とのことです。昭和27年(1952年)8月5日の読売新聞に、「無期限保證付 総ベアリング装置 ヒドリ自転車 製造発売元 東京葛飾局区 ヒドリ自転車製作所」という広告が載っています。

昭和34年(1959年)に、東京都葛飾区南立石町811にあった(株)ヒドリ自転車製作所のようです。同社はその後ミドリ自転車工業(株)になり、台東区仲御徒町1-63に移転したそうですが、昭和34年の商工業者名簿には、ヒドリ、ミドリとも存在します。ミドリ号は戦前にもありますが、ミドリ自転車工業関連のものは、昭和29年(1954年)にはあるようです(自転車文化センターの資料より)。

ヒドリ自転車の創業・移転情報、その他メーカーの昭和32年の情報を漆さんよりいただいています。情報提供に感謝致します。

セキネの自轉車
セキネの自転車
セキネ自転車

セキネの自轉車 撮影:2003年7月
セキネの自転車 撮影:2003年4月
セキネ自転車 撮影:2002年3月

埼玉県蓮田市井沼411にあったセキネサイクルの看板。(株)関根自転車工場時代のものでしょう。

同社は、大正12年(1923年)関根忠蔵氏により創業(自転車販売業)。昭和23年(1948年)(株)関根工場設立。昭和26年(1951年)(株)関根自転車工場、昭和46年(1971年)(株)セキネインダストリーズ、昭和55年(1980年)セキネ自転車(株)に社名変更。工場は昭和34年には荒川区三河島町にありました。

昭和57年(1982年)2月、山口自転車に経営参加。既にセーラー万年筆(株)の資本が入っていた関係で、セキネ、山口とも、蓮田市のセーラーの事業所内に本社を置くことになりました。

翌年10月、三和自転車工業(株)に社名変更。新たに販売会社のセキネ自転車(後のセキネサイクル)が設立されました(『自転車産業年鑑』による)。

三和自転車工業は他社のOEMも手がけていましたが、平成20年(2008年)3月倒産のようです。なお、アサヒサイクル(株)の創業者は三和自転車工業の出身です。

山口の自轉車

山口の自轉車
撮影:2003年5月 拡大画像(38KB)

大正3年(1914年)1月、山口重彦氏により創業。戦後、東京都台東区竹町に(株)山口自転車工場の本社を、埼玉県川口市栄町に川口工場を設置。昭和28年(1953年)よりオートバイも発売しますが、昭和38年(1963年)倒産。

昭和37年(1962年)まで販売台数はヤマハやスズキと肩を並べるほどだったのですが、結局このオートバイ事業が失敗だったようです。また当時の社長と副社長(山口シヅエ氏)の議員活動が多忙であったという話も。

山口ベニーサイクル 山口ベニーサイクル

山口ベニーサイクル
撮影:2013年5月

山口ベニーサイクルの小さめ合成樹脂電飾看板。

山口自転車工場倒産後、技術陣の一部はブリヂストンサイクルに再就職し、BSチャンピオンなどの製造にもかかわったとか。会社の方は丸紅の資本が入り、丸紅山口(株)としてベニー号など多くの自転車を製造しました。本社は丸紅内にありました。

昭和57年(1982年)2月、丸紅が資本を引き上げ山口自転車(株)設立。工場はセキネが引き受けることになりました。

ゼブラ

ゼブラ 撮影:2003年6月

明治34年(1901年)高橋長吉氏により自転車製造業創業。大正11年(1922年)合名会社ゼブラ自転車製作所設立。昭和8年(1933年)株式会社に。昭和12年(1937年)ゼブラ工業(株)。昭和32年(1957年)ゼブラ自転車(株)。住所は荒川区西日暮里一丁目4-1。

昭和37年(1962年)東証二部上場、本社を文京区本郷三丁目27-12に移転。昭和44年(1969年)12月、光風自転車(株)と合併しゼブラケンコー自転車(株)に。昭和51年(1976年)5月岡本理研ゴム(株)(現在のオカモト)に合併され、同社のサイクル事業部になります。

昭和56年(1981年)10月、昭和44年設立の関連会社芙蓉サイクル(株)を子会社化、ゼブラ自転車(株)に社名変更、翌年6月、岡本理研ゴムサイクル事業部を統合しました(『'82年版 自転車産業年鑑』による)。住所は東京都江戸川区平井七丁目4-38。

現在オカモトはサイクル事業は展開していないような? なお、ゼブラ号は明治35年(1903年)に発売されています。

ゼブラ合成樹脂看板 自転車屋さんの玄関灯になっている、ゼブラのブランドマーク付き合成樹脂看板。

ノーリツ号

株式會社 岡本自轉車自動車製作所 ノーリツ号 無料修繕所
撮影:2004年5月 拡大画像(35KB)

少なくとも明治32年(1899年)には名古屋市で、岡本鉄工所として操業していたようです。大正8年(1919年)岡本自転車・自動車製作所設立。昭和7年(1932年)には日本車輌製造、愛知時計電機、大隈鉄工所と共同で乗用車「アツタ号」を試作しています。戦中は岡本工業(株)、戦後は岡本自転車(株)という社名でノーリツ号という自転車を製造していました(戦後の一時期はバイクも製造)。住所は名古屋市昭和区。

昭和31年ごろより岡本ノーリツ自転車(株)。名古屋市中区に移転。その後ノーリツ自転車(株)に。住所は名古屋市中区金山五丁目18-30。
昭和58年(1983年)廃業。現在のノーリツ財団は岡本自転車の後身です。

参考文献

  • 『会社年鑑≪上場会社版≫ 2004年版』2003年10月24日 日本経済新聞社
  • 『自転車産業年鑑 '82年版』1982年3月1日 (株)自転車流通新聞社
  • 『自転車産業年鑑 1985年版』昭和60年10月31日 (株)インタープレス
  • 『自転車用語ハンドブック』昭和63年9月10日 グループ木馬編 (株)アテネ書房
  • 『日本のオートバイの歴史』富塚清著 2001年3月10日 三樹書房
  • 『国産二輪車物語』小関和夫著 2002年3月20日 三樹書房
  • 『シマノ工業60年記念社史 明日への挑戦』昭和57年3月17日 島野工業(株)
  • 『東京商工会議所 会員並特定商工業者名簿 1959』昭和34年1月1日 東京商工会議所
  • 『日本で製作・販売された自転車のブランド名に関する調査研究報告書 平成16年度 黎明期から昭和30年代まで』平成17年3月 編集・発行 財団法人日本自転車普及協会自転車文化センター

2005年3月12日:ページ分割。丸石の自転車差替え。BSサイクルローン取扱店、3.3.3.号自転車、ゼブラ、ヒドリ自転車2枚、山口の自轉車追加。2005年5月14日:ノーリツ号追加。2009年8月28日:ミドリ号自転車追加。2010年8月31日:ツバメ号自転車追加。

(2022年9月30日更新)